国境にほど近いウーディネ / Udine。
(イタリアのブーツで言うと、筒の右上。ヒザの裏あたり。)
しかし、ここまで来ると建築は一気にロマネスク・ゴシックの世界。
そして、もちろんのこと、人々はイタリア語を話している。
いろいろ寄り道して来たが、まっすぐ来るとスロヴェニアの首都リュブリャナからは
幹線道路で159km、たった一時間半くらいの道のりだと言うのに。
それだけで、民族も、言葉も、建築も、線を引いたようにすっかり別のものになっている(ように感じる)・・というのが、なんだか不思議に思える。
ガイドブックによると、
ウーディネの歴史として、
アクイレイアの大司教座(カトリック教会の司教の最高位者)がウーディネに拠を定めたのが13世紀のこと。
以来、この町はフリウリ地方の中心として発展を遂げて来た。
15世紀にはヴェネツィアの支配下に置かれ、文化・芸術が成熟し、
18世紀には画家ティエポロが町を彼の美しい色彩で埋め尽くした。
19世紀には、ほんの一時期であるもののオーストリア領に併合された歴史を持つ。
と、書かれていた。
位置的に考えても、各方面からのせめぎ合いに巻き込まれるのは必然!といった感じだものね。。
歴史上の支配が変わるということは、土地の人にとってはそれなりの苦労なのだろうけど、
幸福な結果の場合、後世には、町を構成する要素が増え、町の魅力になるということもある。
ウーディネもそんな町の一つと言っていいかもしれない。