2013.09.23 Monday 14:10
いい教会というものは、踏み入れた最初の一歩で判るものだ。
逆もある。
何か不快さのある教会も、足を踏み入れた瞬間に著感的に感じ取ってすぐさま出たいと思ってしまう。
建築的な評価と言う意味ではない。いわゆる「魂」にズドンと来るかどうか。
そういう意味で、このサン・ジュストという古い聖堂は、
言葉を失うくらい「ずっと包まれていたい」と感じた建築だった。
どうやら、私以外の家族も同じだったらしい。
あまり居心地のよくない、あるいは何も感じない教会だと、5分もいずに立ち去ってしまうこともままあるにもかかわらず(とにかく、ヨーロッパだけでも数百の教会を訪れていますので・・)、ここでは、少し歩いては座り、また少し歩いては座り・・と長い時間を過ごしました。
そうして滞在が長くなる過ぎると、「そろそろ行かへん?」とか「外で待ってるね」とか言ったりもする凪ですら、それなりに感じるところがあったのか、ずっと同じように歩いたり座ったりを繰り返していました。
後に、旅の終わりに、夫(建築家)も建築単体として一番感銘を受けてたのは、この聖堂だった・・と話していました。
不思議なものです。
これだけツボるということは、1つの旅行にそう何度もあることではありません。。
しかも、3人が3人。。
なぜこんなにこの古い古い聖堂に強い戦慄を感じたのか、今でも理屈では説明出来ません。
かつて、フィンランドで訪れた「トゥルクの葬祭場」と呼ばれる復活教会(フェンランド・レポート10)で似たような現象がありました。
脳の知的な刺激とは違う部分での興奮。
そしてその後に続く満たされていくような感動。。
とにかく、この聖堂を訪れることができただけでも、トリエステに来てよかった!
と心から感じていました。
(この写りの悪い写真たちが、その感動を伝えてくれないことだけが、残念、、、)