3月うさぎ

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ディオクレティヌアス宮殿<クロアチア・レポート42>
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↑ 中世のディオクレティヌアス宮殿の全貌。

↓ 古代、ローマ皇帝ディオクレティヌアスが、この辺いいとこじゃん、別荘でも作っちゃおうか、くらいの軽いノリでこの宮殿を建てちゃったみたいですね。
ディオはん。やりますなあ。。

今も、手をつけず当時のまま保存されている部分もあります。
空間的には渋いけど、
薄暗くて、声がこだまして、う〜ん、、一人だと結構怖いかも・・って。

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アドリア海紀行14
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劇場空間@ディオクレティヌアス宮殿<クロアチア・レポート43>
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城壁の厚み部分を越えて、さらに城壁内部へ。。。

立体的に入り組んだ、さっとは構成が理解出来ないような城郭都市になっています。
好きだな。なんか、良く出来た舞台のセットみたい。
角を曲がる度、目の前に開ける風景が違って、ワクワクします。

予約してるホテルがこの城壁の中という情報しか持ち合わせてなかったので、探そうと思うけど全体構成がよく理解出来ない、、、

道を聞いた人も、うまく説明する自信がなかったのか、お仕事中だったのにわざわざ分かる場所まで連れて行ってくれました。
感激!!ありがとうございます。

ホント、クロアチアは、誠実ないい人が多いです♡

人がいいと、尚更その国を好きになれる・・・
ま、当たり前と言えば当たり前かもしれないけれど。


アドリア海紀行14
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Palace Judita<クロアチア・レポート44>
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城壁内にあるホテルPalace Judita

一階は、カフェになっています。
アドリア海紀行14
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客室@Palace Judita<クロアチア・レポート45>
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Palace Juditaの客室には、ウェルカムワインとおつまみが用意されていました。
ホテルマンのサービスも丁寧かつフレンドリーで癒されます。

客室の壁は7世紀にローマ皇帝ディオクレティアヌス(出遅れティアヌス?)の命令で造られたあの城壁
がそのまま取り込まれています。
ある意味すごいことです。
(・・というか、そのことを知ってこのホテルを選んだんだけど。)

↓ 廊下には、ビーチセット(海水浴客のため)も用意されていました。カワイイ♪

小さいホテルですが、あちらこちらにいろんな気遣いが嬉しいPalace Juditaです。
クロアチア流お・も・て・な・し?


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アドリア海紀行14
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夕食@スプリット<クロアチア・レポート46>
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スプリットでの夕食は、街路が交差する場所のテーブルで、イタリア料理!

さすがに城壁の中の特殊空間では、まったく普通の一日でも、まるでお祭りの日みたいにすべてが華やいでみえる。










アドリア海紀行14
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バルコニーからの眺め@Palace Judita<クロアチア・レポート47>
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早起きした夫(どうも、時差ボケ気味らしい、、)は、部屋に着いていたこのバルコニーから下の広場の朝支度の様子をずっと見ていたのだとか。
でも、広場を往来する人々を見ているのはとても面白かったと。。

夜中まで広場で盛り上がっていたくせに、朝が明けると何もなかったようにすっかり朝の顔をしているところに感心させられる。

そして、観光客が多いと思っていたら、学校に行く人、通勤に急ぐ人、荷物を運ぶ人などに混じって、同じ白いポリ袋を手にもって広場に戻ってくる人が多いことに気づいたと言う。

そうやら、その袋の中身は魚らしく、
海辺の魚市場か何かで新鮮な魚をゲットして、たぶん家に持ち帰って調理するのだろう・・とのこと。

なるほど。
それでは、この城壁の街の中に住んでいる人も結構多いということか?

あんまり、実体はよく掴めないが、とにかく魚市場は人気らしい・・ということだけはなんとなく判る。

下の黒い服のおじさんが持ってる袋もソレ!・・かな??? ↓


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アドリア海紀行14
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送迎車@Palace Judita<クロアチア・レポート48>
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スプリットは、結局宮殿の中のみの滞在でしたが、特殊な体験に大変満足することができました。

そういえば、Palace Juditaでの朝食の時、珍しく日本人の家族と一緒になりました。
(日本ではまったく知名度のないスプリットのこんな小さなホテルでとは・・珍しい!)
まだ結婚しておられない姉妹とお母さんの3人で、
イタリア旅行がメインで旅されているとのことでした。
お母さんの「死ぬ迄に一度ミラノ大聖堂を見たい!」という願いを叶えるためにミラノに行き、そこからスプリットまでは船で渡ったのだそうです。親孝行な娘さんたちです。
(クロアチアは、スプリットのみだとか。。)

そう言えば、ヴェネツィアで遭った日本人家族も、船の旅って言ってたな〜
アドリア海と言えば、船なのかな。。普通は。。


城壁の内部は、完全に自家用車立ち入り禁止!
私たちの車も外のパーキングに置き去りで、そこまでは、ホテルの専用車で送迎してくれました。(こんな送迎車を持っているのは、宮殿内でも二つだけ、とか。)

そこのけ、そこのけ、お馬がとおる・・じゃないけど、通行人の方々には申し訳ないけれど、のろのろ歩いている人たちを尻目にピュ〜〜ッと軽々追い越していけちゃうのはちょっとした遊園地のアトラクションみたいで・・と〜っても快感でした!!!

お別れの時には、お・も・て・な・し精神満載だったフロントのお兄さんも見送ってくれました。
ちょっとオネエ系に見えるのは、気のせいか、気のせいでないか・・はともかくとしまして、本当にやさしいイイ感じのキャラクターに癒されました。

ありがとう!Palace Judita!!
また、来るね!って言いたいところ。。

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ボスニアへの道<クロアチア・レポート49>
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スプリットを出る前に、ドゥブロブニクへはどの道を使えばいいかを、
あのちょっとオネエっぽいやさし〜いお兄さん(オネエなオニイ?)に夫が質問したところ、それは、モチロン海岸に沿って行くべき!と教えてくれたとのこと。
ま、楽しさを取るならそっちだよね〜!と、とりあえず海岸線の道をGo!

たしかに、海岸線はずっと景勝地だし、内陸の道路途中迄しか高速になっていないし・・
選択肢はほとんど2通りしかないのだけれど、
海岸線の道は混んだりしないのかな・・とちょっぴり心配していたら、
まだスプリットを出て30分も走ってない辺りから、悪い予感が的中して渋滞が始まり・・
結局1時間くらいほとんど車が動かなくなってしまいました。
(あの、超観光地のヴェネツィアですら渋滞はなかったのに〜、、)

ここまでの好調すぎるくらいだった旅に初めての試練が・・。

あれはやっぱり事故だったのかな〜。。

しかし、海岸線の道は渋滞したら本当に逃げがないのでヘタしたら着く頃には夜中になってしまう・・という可能性も、、、
その上、カーナビは調子悪くて使えなくなってるし、ラジオの言葉(クロアチア語?)はさっぱり解らない・・と来たもんだから迷った後予定を変更することに決定。

まずは高速で行ける所まで行き、その後は、ボスニア・ヘルツェゴビナにいったん入国しそこからクロアチアのドゥブロブニクを目指すことに決めました。(距離的にはだいぶ遠回りになりますが、こちらのルートは渋滞の畏れはまったくないので。)

高速を下りて、ボスニアに向かう道はもうこの時点でスッカスカ・・
よく走るのはいいことですが、お昼ご飯を食べるところが見つかるかどうかも心配な程に素っ気ない山道が続きます。

極端っすね、、、



アドリア海紀行14
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国境<ボスニア・ヘルツェゴビナ・レポート1>
3月うさぎ
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いよいよ国境に差し掛かりました。

まず、パスポートを見せてクロアチアを出国。
少しだけ走ったら、今度はボスニア・ヘルツェゴビナ / Bosnia and Herzegovinaへの
入国審査を受けます。

出国は勿論簡単。普通の高速道路と変わりはありませんが、
ボスニア入国は、少なくともパスポートのコピーを撮りに行った様子でした。

さすがにボスニアなので、目的地や所持金など聞かれるかな・・とも覚悟していたのですが、それはありませんでした。

今回の旅だけでも国境越えは3回目ですが、EU加盟国同士はほとんどフリー。
ボスニアは違うので(しかもクロアチアとはあまり仲良くなさそうなイメージ、、)
拒否られる理由はないはずでも、なんとなくキンチョーしてしまうのでした。

赤白青の横ストライプは旧ユーゴの旗じゃなかったかしらん。。



少し走ったところで小さな食料品店とカフェが並んだところで夫が車を止めて、
念のためお昼ごはんを確保しておこう!ということに。
照明も暗めの店内に入ると、食材はあっても一から調理が必要なものが多く、
結局はジュースとポテトチップスとバナナを手に入れるだけで精一杯でした。
それでも、クーナ(クロアチアの通貨)を換算して受け取ってくれたのにはほっとしました。(そうなのだ。私たちは急にボスニアに入ったので、ボスニア通貨をまだ用意してなかったのだ!)
となりのカフェ(と言っても相当ストイックな感じの、、)にサンドイッチくらいはないものか・・と覗いてみたけれど、飲み物だけで食べる物は何もないと言われました。

国境という線引きを越えただけで、さっきまでいた明るく豊かなクロアチアがうんと遠くに感じられて、急にこりゃ遠いとこに来てしまったという気持ちになりました。。







アドリア海紀行14
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ユーゴスラビア<ボスニア・ヘルツェゴビナ2>
3月うさぎ
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かつてこのバルカン半島にユーゴスラビア / Yugoslaviaという国があったことをお忘れの方も少なくないかもしれませんので、ちょこっと復習しておきますと・・・

現在でいう、スロヴェニア、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、セルビア、モンテネグロ、マケドニアの6つの共和国とヴォイヴォディナとコソボの自治区がまとめて
第一次世界大戦のどさくさに紛れて(?)、セルビア人中心の勢力に強引に他民族国家として一つになりました。
第二次世界大戦の時には、ドイツやイタリアの支配下に入りましたが、パルチザン勢力の指導者チトーによってユーゴスラビア連邦として団結し、ある程度安定した時間が経過しましたが、カリスマ・チトーの死後、中央統治がうまく機能しなくなり、次第に民族間のバランスが悪くなり、あちこちでいざこざが勃発し、ついにはユーゴスラビア紛争へと発展していきます。

もともと、ユーゴは、「七つの国境、六つの共和国、五つの民族、四つの言語、三つの宗教、二つの文字、一つの国家」という多難を背負っていたため、そもそもくっつけたことの方が強引だったとも言われていたらしい。

ユーゴスラビアは1991年に実質解体しますが、
地域差はあるにせよ、1990年頃勃発した紛争は、場所によっては2000年を越える頃まで続いていたというので、まだそれほど過去のこととも言えないわけです。
ユーゴ解体後、経済的地理的に恵まれていたスロヴェニア、クロアチアは、EUにも加盟し早々と西欧の仲間入りをし、一方取り残された形になっているその他の国々との格差は広がるばかりなようです。

ボスニア・ヘルツェゴビナの現実も厳しく、実際の国土と言えば、2000m級の山地(ディナル・アルプス)が南北に長く横たわって海を遮断し、低地でさえほとんど農作物も育たない不毛の大地が大半か?と推測されます。(メインの幹線道路の両脇がずっとこういう風景でしたから。)

あまり決めつけてはいけませんが、戦後の復興もあまり進んでいるようには見受けられず、貧しくともおだやかな幸福感が漂う・・という風には思えない何かがありました。

実際にショックだったのは、いくつかの集落が建物はあるのに妙に人の気配がなく、近づいてみると壁に多くの弾痕が残っているのを目の当たりにしたことです。






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