3月うさぎ

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総督邸<クロアチア・レポート60>
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総督邸 / knezev dvorは、かつてここがラグーサ共和国だった時の総督の住居。

同時に、共和国の行政を司るすべての機関が集まったドゥブロブニクの心臓部でもあったらしい。

15世紀の初め、当時の有名建築家オノフリオ・デッラ・ツァッヴによって建てられたゴシック様式の建築だったが、火薬の爆発で被害を受け、その修復の時にはルネサンス様式の修復作業が成されたという。
しかも、その後1667年の大震災後の修復ではバロックの装飾が加わり、ゴシック、ルネサンス、バロックの複合建築に。。

こういう時間のスケールや、建築の歴史=修復の歴史という石の文化・・・面白いね。
その対極にあるのが、私たちの木の文化、たとえば伊勢神宮の遷都だったりするのかも。


総督邸・・・現在は、文化歴史博物館として使われているようです。

アドリア海紀行16
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ルジャ広場<クロアチア・レポート61>
3月うさぎ
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ルジャ広場 / Luza trg

ドゥブロブニクの目抜き通りプラツァ通りの東の端にある華やぎのある広場。

最近流行の、建物に合わせてコンピュータでプログラミングされたCGの演出で、歴史ある建築物を最先端のアートに変換して観光客を喜ばせていました。

そして、その様子を月が笑う。。




アドリア海紀行16
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青空市場<クロアチア・レポート62>
3月うさぎ

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ホテルの前は、広場(青空市場)。
バルコニー付きの部屋からの眺めは表情がくるくる替わってなかなか見てて飽きないです。


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到着日の夕方。
急な通り雨に襲われて、ディナーのために用意されていたホテルのレストランのテラス席のテーブルクロスを慌てて外す作業に追われてました、、
(テラス席が使えないと、売り上げにはかなり影響しそう。。)

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夜の青空市場。
雨も止んで、テラス席が賑わっています。
私たちもここでちょっとお茶しました。

背後に白く浮かび上がっている円形の建物は、位置から推測すると
聖母被昇天大聖堂 / katedrale Uznesenja Marijnaかな?(たぶん、だけど。。)

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深夜は、部屋のバルコニーに出て、広場を眺めながらワインで乾杯!
(このワインは前日のホテルのウエルカム・ワインをもらってきたもの。。優雅なような
セコいような。。)

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翌朝の青空市場。
次々にパラソルが並んで、食料品やハーブの工芸品などのお店が並びます。
レモンピールを購入したお店のおじさんに、どこから来たん?と聞かれて
日本!と応えると、そんな遠いところから来たんか、よう来た!よう来た!とえらく褒めてもらい、ついでにおまけもしてくれました~ヤッピー♪

その後、朝市は午前中には店じまいして、広場にスペースが戻っていきます。





アドリア海紀行16
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城壁からの眺め<クロアチア・レポート63>
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旧市街を取り囲む城壁は、約2km。

城壁の途中には、要塞や見張り塔などが築かれており、高いところでは25mという壁の上からの眺めは絶景である。
1667年の旧市街の大部分を破戒したという大地震の時でもこの城壁はほとんど無傷だったというから、いかにも堅牢と言える。

ドゥブロブニクが城壁に囲まれたのは、なんと!街の誕生間もない8世紀のこと。
現在見られるような形になったのは、15〜16世紀の大工事によってだという。


夫は、長年憧れた場所に来る事が出来て満足そう。
人間ってすごい!と思えたのが嬉しかった・・というようなことを後でつぶやいていました。建築家は、これを一から造るとしたら・・いつもその観点でモノを観ているようで。
アドリア海紀行16
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ハンドメイド<クロアチア・レポート64>
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名前入りネックレス。
1つにつき2分でつくってくれるそうで(一時期日本でも流行ったけどね。)
凪は親友たちへのお土産はそれにしよう!と決めて、まさに作ってもらっているところ。

このブルーのシャツ着たお兄さん、立ったまま、なかなかいい手つきで仕上げてくれてます。




アドリア海紀行16
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階段@Pucic Palace<クロアチア・レポート65>
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ホテルPecic Palaceの大理石の階段。

器の金継ぎのように、石は石で補修されている。

こういうのって、意外と嬉しい。
アドリア海紀行16
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モスタルへの道<ボスニア・ヘルツェゴビナ・レポート3>
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さてさて、いよいよ後ろ髪引かれるドゥブロブニクを後にして、
国境を越えて、再度ボスニア・ヘルツィゴビナへ。。。

ドズブロブニクを出た時点ですぐに山に入るのですが、
その後も人にも車にもほとんど出遭わないような荒涼とした道が延々と続きます。


できれば、前回通った幹線道路とは違う地道を走ってみたい・・などと思って、
いろいろトライしてみるのですが、
道はだんだん細くなってついにはなくなってしまったり、標識はラテン文字にキリル文字まで入って、まったく先が読めない。(しかも、もともとボスニアに関しては、おおまかな地図しか持っていない!という雑な現状!)

そのうち、人や車どころか、すれ違うのは牛ばかり・・という牛用の道?とまで思われるマイナーな道に紛れ込み・・・
楽しいけれど、いつになったら目的地に着くのやら・・といった始末。

しかし、この辺がうちの家族の変わったところなのでしょうけど、心細くなるどころか、車内はちょっとしたアドベンチャー気分でかえって盛り上がっている。

燃料がなくなると、相当ヤバいことになるでしょうけど、そっちの心配は大丈夫とドライバーが言っておりますので。。
(UPした写真、それぞれ時間は経過しているのですが、ほとんど同じ道のようにみえますね。笑)

そうそう、この日の目的地は、紛争の爪痕残るボスニア・ヘルツェゴビナでは珍しく
外国からの観光客を受け入れているモスタル / Mostal(旧市街は世界遺産?!)という街を目指しております。



いったいこの人たち、日暮れまでに無事到着できるんでしょうか。。笑

アドリア海紀行16
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Bosnian National Monument Muslibegovic House<ボスニア・ヘルツェゴビナ・レポート4>
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ドゥブロブニクからおよそ3時間程度の道。
そのあいだ結局、町らしい町にはおよそ出遭うことはなかった。

でも、幹線道路に出てからは、割合あっけなくモスタル / Mostarに到着することができた。

初めに着いたモスタルのダウンタウンは、とりとめがなくて観光客にとってあまりウェルカムな空気はない。
予約していた宿もうまく見つからない、、
でも、道を聞いた男性が「ああ、知ってる、知ってる」と快く車を誘導してくれたので助かった。やっぱり人の親切に遭うと、いきなり町との距離も縮まるものだ。



モスタルでの宿は、Bosnian National Monument Muslibegovic House
まったく〜長い名前ですよね。。
90年代の戦争で被害を受けた旧家をスペインのパラドール(国営宿舎)をヒントに宿泊施設にしたとのこと。
塀の中は外とは一変して花にあふれる美しい庭を持つムスリム(イスラム教)の邸宅であります。

典型的なムスリムハウスはその建築そのものがミュージアムにもなっていて、
ガイドのしっかりしたクレバーな感じのお姉さんが、丁寧に説明してくれた。
彼女は、一体何人なんだろう。。
白い肌のクロアチア人(いわゆる西欧人的)のようにも見えたが、スラブ人ということもあるのかもしれない。
でも、少なくともムスリム系には見えなかったが、尋ねてみる勇気は出ない。
やっぱり、この辺は、紛争の歴史がまだ風化していないところもあるので、民族や宗教の話しは
その複雑さをよく知らない人間が無邪気に質問してみるにはハードルが高すぎる。

そんなことでビビっていたら、昨日まではどこの町にいたの?と聞かれる。ドゥブロブニクと応えると、
感想を聞かれてしまう。ボスニアとクロアチアの関係が現在どんな感じなのか?と思わず余計な気を遣ってしまう。
彼女自身はニュートラルな印象だったけど、一緒にいた他の旅行客がサラエボから来たと言っていたので、
余計な気を回してしまった。
ま、ファーイーストの国から来た旅行客が気を遣っても仕方がないんだけど、ね。

このニュアンスをうまく説明出来ないけれど、この町に流れるネレトヴァ川の東は、ムスリム人、西はクロアチア人が
住み分けている・・というと、少しはこの町の特殊性が伝わるだろうか。

ここに来ると、もうヨーロッパじゃないみたいでしょ。。
そうなのだ。旧市街に出るともっとびっくり!な風景が待っていたのです。

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アドリア海紀行16
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ミュージアム@Bosnian National Monument Muslibegovic House<ボスニア・ヘルツェゴビナ・レポート5>
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ムスリムの邸宅が今はそのまま美術館として公開されています。
基本的にプライバシーはなさそうなプラン。

細工の細かさ、絨毯を幾重にも重ねるところなど・・・部分的にモロッコの記憶が甦ります。
アドリア海紀行16
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コスキ・メフィット・パシナ・ジャーミナ<ボスニア・ヘルツェゴビナ・レポート6>
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コスキ・メフィット・パシナ・ジャーミナ / Koski Mehmed Pasina dzamija

1618年に建てられたイスラム寺院。
(一気に名称もムスリムチックになりますよね。。)

旅行のガイドブックに(モスタルは)「西ヨーロッパの影響が強いアドリア海沿岸の町からやってきた旅行者は、
町の雰囲気の違いにきっと驚くことだろう。」と書かれていたので、
よ〜し!そのギャップを楽しんでやれ!と思ってここまで来てみたが、
実際に朝まで見ていた風景と、(たった3時間ばかり移動しただけなのに、)
こうまで風景も人も変わってしまうと、正直なんか脳が着いて来てない気がしてしまう。

それと同時に風景って不思議なものだな・・と思う。
こんな石作りのキリスト教教会はいくつも見て来たはずなのに、少しのエレメントの違いでここだけでも
グンとオリエンタルなテイストに感じられる。

でも、地図的区分からすると、ここもまだヨーロッパなのです!
アドリア海紀行16
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