朝食の後は、コーヒーとクッキーを持って、
庭へ。
少し肌寒かったが、この庭を楽しまない手はない。
いつもなら、朝からあんまりゆっくりするのを好まない夫まで、
この静けさ長閑さを満喫している様子。
ここにもリンゴの木。
朝食の後は、コーヒーとクッキーを持って、
庭へ。
少し肌寒かったが、この庭を楽しまない手はない。
いつもなら、朝からあんまりゆっくりするのを好まない夫まで、
この静けさ長閑さを満喫している様子。
ここにもリンゴの木。
エストニアとラトビアにまたがる町。
国境の町ではなく、町の中に国境がある。
不思議ちゃ不思議。
エストニア側は、ヴァルガ。
ラトビア側はヴァルカ。
ロシアやスウェーデンの支配下にあった時はその境界がなくなったこともあるが、
今は、町に流れるカエルの溝と呼ばれる小さな川を境に国が変わる。
しかし、今やどちらもEU加盟国なので、パスポートコントロールもなく
三度分割が行われたこの町も、緩やかに統合しようとしているらしい。
この写真はラトビア側から。
今度はエストニア側から見ています。
小さな黒い小屋から向こうがラトビアです。
人々は普通に徒歩でその場所を通り過ぎます。
再び、エストニアにも戻ってきました。
ここからはまたエストニアレポートとして続けます。
国境の町での庶民スタイルのお昼ごはん。
バルト三国のすべてで野菜のスープは国民食。
これにはミートボールも入っている。
柄の大きな男性でも、お昼はこれだけを注文している様子。
量もあるし、パンも付いているからそこそこお腹は膨らむ。
2ユーロもしないしね◎
もう一皿は、ストロガロフ。
これも国民食。
世界的に有名なビーフだけじゃなくて、ポークやチキンも。
付け合わせもジャガイモだけじゃなくて、ライスを合わせることもある。
酢漬けのキャベツとの相性もgood!
ストロガノフは3ユーロちょっと。
基本的に食事のルーツはロシア系です。
エストニアの第二の都市タルトゥに新しく建てられた
エストニア国立博物館。
元々は、軍の基地だった場所が建築予定地となった。
負の遺産の仕切り直しプロジェクトである。
国際コンペの結果、グランプリをとったのは若き日本の建築家田根剛氏。
サッカー選手から建築家に鞍替えした珍しい経歴を持つ人。
彼は、軍の飛行機が飛び立つ滑走路跡地にこの博物館計画を重ねるアイデアを練る。
記憶を引き継ぐ、そのこと自体をコンセプトに。
その日から10年。
何度もプロジェクト消滅の危機にさらされながら、なんとか竣工にこぎつけた。
関係者の苦労をただただ労いたい。
↑
元々の滑走路を建築のデザインにメタファーとして取り入れている。
ながらかに盛り上がっている部分は、建築物の傾斜する屋根へとつながる。
博物館グランドオープンの10日前。
しかも、工事は外から見るだけでも、
まだまだ作業が残っているように見られる。
けれど。
私たちも遠い日本からわざわざ来たのだ。
もう二度と、エストニアに来る機会なんてありそうもない。
断られることを覚悟しつつ、インターホン越しに
一応見学のお願いをしてみる。
と、意外にも、少しだけなら・・・と了承の返事。
対応してくれたチーフ風の男性に
「忙しいところ、大変申し訳ない、、、」と改めて頭を下げると、
「断るには、あなたたちは遠いところから来すぎた」と言ってくれた。
有り難い。
本当に有り難い。
忙しい中、彼は私たちに丁寧に施設の説明をはじめてくれる。
ここが、滑走路の上に建てられていること。
流れていた川もそのまま活かした設計になっていることなど。
この照明が美しい部屋は、レストランスペース。
初めは、この説明してくれる男性は、工事側の責任者か何かかと思っていたが、
展示物への熱意が伝わってくるにつれて、
あ、そうか、
この方は、博物館側の内容を取り仕切っている方なんだ・・・とじわじわ解ってくる。
(そういえば、役職やお名前も聞きそびれてしまった、、)
静かでおとなしい印象のあるエストニア人のイメージからすると
いい意味で熱い!
本当にこのプロジェクトをどれだけ大切に思い、どれだけ尽力してきたかが
伝わるような説明を受けて、
この博物館がエストニアの宝になることを私は確信した。心より成功をお祈りしたい!
本当に本当に有り難うございました。
・・・・・ん??
なんかオカシイって気づきました??
そう。
タルトゥ美術館/Tartu Kunstmuuseum
(建物そのものはバークレイの家と呼ばれている)
は、ピサの斜塔のように傾いているのです。
正確に言うと、一部が、ね。
設計ミスではなくて、
傾いた擁壁の上に建てられ、その後道に合わせて作ったので、
一つの建物の中でなんだかおかしなことになっています。