集落の周囲を歩いている時に、
夫が急に「この地面に石が刺さっているのは何だと思う?」
と言い出しました。
私は、侵入禁止のサインかな〜?とか思ったのですが、
それならこんな広範囲に渡るのはおかしい、入り口のところだけでいいだろう・・
と、すばやく却下・・・
それもそうだわな・・と思っていたら、
「もしかしたら、これは、お墓なんじゃないか?」ともう一度夫が言いました。
それは、私にとって衝撃の言葉でした。
単なる地面と石が、突然壮大な墓場に見えてきて言葉を失いました。
でも、一度そう見えると、絶対にそうだ!それしか考えられない!となぜか確信が持てました。
そんな理由でもないと、人はわざわざ石を地面に突き刺すように立てたりしない。
よく見ると、周囲の石より少し直線で成形されている。
死後は、自分が産まれ育った村の脇の土地のたった一つの石になる・・・
そんなシンプルな弔い方もあるのだな・・と。
石には何も刻まれてもいません。
石を立てた家族でさえもどの石か見失ってしまいそうな、
one of themに徹した墓石に逆に彼らのただ一つの石たれという哲学を感じました。
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日本に帰ってから、ベルトルッチ監督の「シャルタリング・スカイ」を見直しました。
モロッコが舞台だったので。
その中で主人公の夫が、同じような場所に来て「見ろ、墓場だ。日付もない、名前もない、
ただの陶器のかけらだ」というシーンがありました。
私たちが見た墓場は石のかけらでしたが、同じように無数のかけらが地面に突き刺さっていました。。。