3月うさぎ

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北上の桜
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東北に来ています。

今春、もう一度桜の花が見られるとは思っていませんでした。
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北上川
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岩手の北上では、桜の満開に出迎えてもらえました。

北の静かな風景に色を差すように、うすいピンクがやさしくて、
緊張していた気持ちを和らいでくれるようでした。
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瓦礫の中の花
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東北では、北上、花巻、釜石、大槌、大船渡、陸前高田、石巻、女川(牡鹿半島)、仙台・・と、
20以上の町や村を訪れてきました。
そのほとんどが、漁村であり、今回の地震で津波の深刻な被害を受けた地域です。

海外線に沿った町や村は、一つの例外もなく、悲惨な状況に置かれていました。

けれど、そんな風景の中にあっても、春になると花は咲く。。
自然とはかくも惨くかくも優しい。

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津波の爪痕
3月うさぎ
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被災地で見て来たことについてblogに書くのは、なにかためらいがありました。

でも、帰ってきてから何人かの友人に、被災地視察の感想が聞きたい!と言ってもらったので、私なりに少しここでも触れてみようと思います。



遠くで感じていたより、地震の被害そのものは外観からすぐに判るほどのものはさほど多くはなくて、被害が著しいのはただただ津波によるダメージでした。

新緑美しい5月の美しい山道をくねくねと走り坂道を下って海に出るところで景色は一変します。
それは、天国から地獄へ突き落とされるようにあまりにも強烈なコントラストで、
その落差こそが津波という災害なのだと改めて思い知らされました。

漁村集落を囲む山の斜面の木にも津波によって運ばれたモノたちがぶら下がり、
こんな巨大な堤防でさえ、なぎ倒されてしまっています。

個人的結論としては、何か構築物で津波を阻止しようというのは所詮無理。
とにかく津波の警報が出たらいち早く高い所へ逃げる、それしかない解答はない!って感想を持ちました。
むしろ、この堤防が引き潮を食い止めて被害を拡大させているようにも感じました。
(勿論、多少の高潮には効果を発揮することもあったのでしょうけれど。)











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釜石 5.2
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5月1日 東北1日目。 

北上に入り、花巻に泊まりました。
この日は宿に入る前から雨が降り始め、宿では台風のような強風と大雨。
夜中中降り続く豪雨は怖い程で、旅館の隣を流れる川が氾濫するのではないかと心配になるほど増水していました。


5月2日 東北2日目。

早朝には雨がようやく止み始め、内陸から海岸の方へ車を走らせて釜石に入りました。
海に近づくと商店街の両脇にも瓦礫が盛り上げられているのが見え始めました。
津波は町中まで、流れ込んだ様子。
そして、海岸に出ると、映像でも見たことのある津波に翻弄され最後には陸に乗り上げた青い船が目の前に。
ここでは、自衛隊や警察の他に一般ボランティアの人たちの姿も多く見られました。
ボランティアの内容は、ほとんどが瓦礫整理のお手伝いのようでした。


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漁村集落 5.2
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5月2日は、天皇皇后夫妻も被災地訪問の予定をキャンセルした程の強風で(実際、強風警報なども出ていたらしい!)、立っていても引き飛ばされそうになるくらいのとんでもない風との戦いでした。
そのせいか、集落はいくつ訪れても、ほとんど誰もいない状態。
それでも、壊れた建材、外れかけのシャッター、割れたガラス、垂れ下がった壁、折れた柱、倒れた電柱、横倒しの木々・・そんなものたちが、パタパタ、キュルキュル、バンバン、トントン、ガンガン・・・ひたすらにぎやかに合奏し続けていました。
時折、突風で剥がれたものが飛ばされてくるので、コワイ、コワイ、、
軍手とマスクは用意していましたが、これはヘルメットも必要だったかな、、と、視覚聴覚の休まらない集落訪問になりました。

夫は、設計の仕事もしていますが、こういう海沿いの斜面の集落の研究者でもあり、これまでも数えきれないほどの集落を廻って来ました。(その半分くらいは私も見ているのではないかと思います。)
その豊かな地形と独特の集落の造形に魅せられて、こういう漁村にはことあるごとに立ち寄ってきたのですが、その造形がもぎ取られた入り江を見るのは当然ながら初めてのこと。
海とつきあうということは、こういうリスクも含め、、ということだったのだと、あらためて哀しい教訓いただきました。

でも、漁村に暮らす人たちは、毎日海を見て海を読んで暮らしているので、津波が来たら動ける人はほとんど高台に逃げて多くの人が助かっていると聞きます。
それでも私ならあの津波を見てしまったらもうここには怖くて住めない・・と考えるような気がしますが、集落に住むほとんどの人は、やはりよそには住みたくない、ここから動きたくないと考える人の方が大半のようですね。
津波は海の一つの表情にすぎない・・と言ってのける人もいました。
日頃から海の表情を知り尽くしている人の言葉だよな。。

直ちにというわけにはいかなくても、住みたいと思う人たちがいる限り、ここにまた元の生活が戻ってこられたらいいのに・・そんなことを考えながら、ひたすら強風に吹かれ続けた一日でした。
(風は写真には写らないですね、、)











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陸前高田 5.2
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2日目の日没目、最後の訪問地として選んだのが、越前高田でした。
今回の津波被害の最も厳しい地域の一つとして有名になった町です。

もう、夕方であたりが少し薄暗くなりはじめていることもあり、
小さな漁村集落と比べると、被害を受けた場所があまりにも広範囲で見渡す限り家も車も人もごっそりと消え去り、本当に死の町になってしまったと感じました。

レンタカーのカーナビが、「この先200mで左方向へ。ESSOが目印です。」「この先300mで右方向へ。セブンイレブンが目印です。」などと言い続けています。
一面瓦礫の風景の中を走るのにひたすら「◯◯が目印です」とアナウンスし続ける声が空しく響きます。
カーナビの画面には、この町の市役所も図書館もコンビニも、まだまだ健在なのです。

もしかしたら、この時一番実感することができたかもしれません。
人々の暮らしごと海に流されてしまったことを。

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家族写真 
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ある漁村のこの場所に住んでいた家族が、
津波の後、家があった場所に家族みんなで戻ってきていました。

津波の時はおじいちゃんとおばあちゃんだけが家にいたのだそうですが、
警報が出て高台に逃げたから大丈夫だったとか。
後ろの小学校の生徒は山に逃げたので無事だったとか。
でも、病院に入院している人たちは思うように体が動かせないのでやっとのことで屋上に避難したけど、水はその屋上をも越えて来たのでみんな助からなかったとのこと。

そのおじいちゃんおばあちゃんを含め、子どもさん、お孫さんたちも一緒に津波以降初めてここを訪れたのだそうです。

もと家があった場所に大集合した一家の貴重な集合写真。
シャッターは私が押させていただきました。
(責任重大!!)
みんな笑顔だったのが救いでした。


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石巻 5.3
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5月3日。東北3日目。

前日より、仙台入り。(秋保温泉泊)
この日は、朝レンタカーを返却し、
代わりに、仙台市内在住の友人のご両親に車を出していただくことになりました。
現地の方のお話もいろいろ伺ってみたかったので。

仙台も駅の周りは、閉めているお店もちらほら目につくけれど概ねは大丈夫な様子。
けれど、若林区(海に近いエリア)に行くと様子は一変、やはり津波に襲われた地域は問答無用に流されていました。

仙台を出た後は石巻方面に車を進めました。
仙台平野の津波の被害も広範囲に渡ります。
海岸から6kmにおよぶ位置まで水が到達したというのだから驚きます。(通常の避難区域はせいぜい1km程度だったとか。)想定されていた避難所はことごとく水没し、次々と町が瓦礫と化してしまいました。

写真も石巻市内。
ここは瓦礫がだいぶ片付けられているのでやたらスッキリして見えますが、大型バスが建物の屋上に鎮座していることからも判るように、やはり被害は甚大な場所でした。
この辺になってくると、丘に囲まれ海そのものは視覚に入らないので、津波の警報が出ても自分たちには関係ないと思ってしまっても無理はありません。
しかしながら、今度の津波はとんでもない位置まで足を伸ばし、人々の生活を破戒してしまいました。

まだ遺体探しもしているのか地面を棒でツンツンつついている場面も見かけました。
はじめはシャベルで掘ってたけど、それでは遺体に傷をつけてしまうので、棒で差しながら人が埋まっていないか確認しているのだそうです。
見ているだけでも辛い作業。
本当に、現地で懸命に働いている人たちの姿を見るとただただ頭が下がります。





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瓦礫の声
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「瓦礫」と呼ばれるモノたちは、ほんの一ヶ月半前までは、
人々の「暮らし」そのものでした。

瓦礫処理の作業中にアルバムや表彰状などが見つかると道の脇にかためて置いてありました。
何か思い出の品物が見つからないかとさがしに来る人もいるので、判り易いように置いてあげているようです。
優しい配慮だと思います。


今回の震災で生じた瓦礫は、3〜5年後には、アメリカ本土やハワイの海岸に届くだろうという記事が新聞に載っていました。
よくも悪くも、地球は丸く、世界はつながっているということでしょうか。


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湯治の宿
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岩手では、鉛温泉にある藤三旅館に泊まりました。

ここは、旅館部と湯治部(湯治客用)があります。
旅館部の方がいわゆる旅館らしいのですが、湯治部の方が価格が安いのと、体験的には面白そうだったので、こちらを選ぶことにしました。(隣同士なんですけどね。)

でも、この湯治の宿、正解!!
療養などで長期滞在している方達のために、こうして自炊室や洗濯室などもあり、お風呂もいくつも種類があってどれもこれもなかなか雰囲気がある。
特に、日本で一番深い風呂というのがあって、ここは立って入るのだけれど、レトロな雰囲気とスケール感がなかなかいい。
部屋にはコタツが置いてあって、食事もなかなか美味しかった。
部屋は番号で一号とか二号とか札が付いていて、私たちの部屋は二十八号でした。(鉄人28号!?)
シブ好みの方にはお薦めの秘湯です。

ここでも施設の一部は被災者に提供されていたようです。

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