3月うさぎ

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スロヴァキアの歴史<スロヴァキア・レポート50>
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スロヴァキアの歴史を大きくたどると、こんな感じになるようです。↓ 
(wikipediaより)

古代
大モラヴィア王国
ハンガリー王国
チェコスロバキア独立
独立スロバキア(1939年-1945年)
共産党体制下のチェコスロバキア(1945年-1989年)
民主化から連邦解体へ(1989年-1992年)
スロバキア共和国(1993年-)


どの時代も、ほぼ一貫して、スロヴァキアは負け続けてきた国だったと言ってもいいかもしれません。
周囲のオーストリア、ハンガリー、ドイツ、そしてソ連という大国の配下に置かれ、長い時間を耐えて耐え抜いてきた国だったのだと思います。
けれど、ナチス・ドイツに対して民衆が蜂起したり、チェコとのビロード離婚を成立させたように、大人しいスロヴァキアもここぞという時には、芯の強い所を見せることがあり、
そんなスロヴァキア人のいい意味での意地のようなものが、現在のこの美しいスロヴァキアの国土をカタチ作っているのではないかな。

2011年現在、スロヴァキアは最高に「いい時代」を迎えているのではないかしら。。
他の国と比べてどうこう・・というのでなく、彼ら自身にとって。
・・・そんな印象を持ちました。

中欧旅行6
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運河水門監視所<オーストリア・レポート1>
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いよいよスロヴァキアに別れを告げて、オーストリア、ウィーンへ。


私自身としては人生3度目のオーストリアです。

1度目は学生時代にウィーンとザルツブルグを旅しましたが、あまりにも昔すぎて記憶もとぎれとぎれ。
2度目は夫とのスイス旅行の時、車で山を下りたら、そこはオーストリアだったということが・・・


写真は、オットー・ワーグナーが建てた運河水門観察所。
シンメトリーの印象的なファサードが運河のランドマークの役割を果たして来た。
青地に白の模様は「ドナウの波」を表現しているとのこと。

今は、レストランとして使われていますが、天井の歯車は当時の名残り。




中欧旅行6
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クンストハウス・ウィーン<オーストリア・レポート2>
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ウィーンのガウディとも呼ばれる画家でもあり建築家もあったフンデルトヴァッサー。
彼が設計した美術館クンストハウス・ウィーン。

その楽しげな色彩や手法など表面的な意匠に目が奪われがちだが、奥には常に自然との共生し、本来の人間性を取り戻そう!という強いメッセージを投げかけている。

自然界に直線は存在しない!という彼の持論のとおり、この建築もすべてうねりのある曲線で表現されている。

床もうねうね、壁もうねうね・・・
彼自身の絵画に迷い込んだよう。


中欧旅行6
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Hundertwasser<オーストリア・レポート3>
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フンデルトヴァッサーが設計した美術館クンストハウス・ウィーンでは
フンデルト・ヴァッサー自身の展覧会を観ることが出来ました。

これは本当にラッキーでした。

フンデルトヴァッサーは、母親がユダヤ系のチェコ人であったために、幼い頃ナチス・ドイツの時代には地下の隠れ処生活を余儀なくされたそうです。
毎日、外の足音に怯える外界から遮断された生活を送っていたので、戦争が終わった後には、スケッチブックを手にアフリカへ生き、その生き生きとした暮らしに心から共感し影響けます。
が、その後都会に戻ると、一転灰色の建物が建ち並ぶ町並みに深く失望し、その反動から溢れ出るような色彩と豊かな筆致で自然と人間が一体になることをテーマにしたメッセージを込めるようになります。

フンデルトヴァッサーとは、百の水という意味。
ときどき日本語で(どうやら奥さんか恋人が日本人だったらしい)百水とサインを入れていました。



中欧旅行6
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フンデルトヴァッサーハウス<オーストリア・レポート4>
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フンデルトヴァッサーが設計したウィーンの市営住宅。
(どうやら今でも市民が普通に生活しているらしい)
クンストハウス・ウィーンの割合近くにある。

こんなユニークすぎる建物なので、当時は相当議論の対象になったらしい。

でも、ガウディの建築がバルセロナでは自然に馴染んでいるように、
ウィーンの町並みではちっとも浮いているとは感じなかった。
むしろ、チャームポイントになっていると思う。

住居の内部がどうなっているのかも、興味津々。。
中欧旅行6
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ガゾメーター<オーストリア・レポート5>
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19世紀末に建設された4基のガス貯蔵タンクを大々的に改築したガゾ・メーター。
ジェン・ヌーベルやコープ・ヒンネルブラウなど売れっ子建築家を投入して、住居、ショッピング・センター、イベントホールなどを収納した新しい試みである。


中欧旅行6
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王宮<オーストリア・レポート6>
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ハプスブルク家の居城。

・・・ここだけ見ても、当時のハプスブルク家がいかに力を持っていたか推測出来るような気になる。
増改築を繰り返したため、複数の様式が混在し、より複雑な平面を持つようになったと言う。
馬車が蹄をならして駆け抜けて行く・・・
出来すぎた風景。。
中欧旅行6
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ロースハウス<オーストリア・レポート7>
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今見るとさほど語ることもないようなこの向かって右側の建物が、
1900年初頭には、ウィーンで大議論の的になったとは、
少し驚きですよね!


ここは、上にアパートが入る服飾店。
窓に豪華な装飾の入る(左の建物のような)様式建築で埋め尽くされていたウィーンの市街地、しかもこの前のミヒャエル広場を間に王宮と向かい合っていることもあって、王宮に対して不敬だという反対運動が起きて世間に騒がれた。
設計者の名前をとって、ロースハウスと呼ばれている。


今、見ると普通に四角い窓が並んでいるだけなんですけどね。
当時のウィーンにはそれがタブーだったということですね。

アドルフ・ロースは、「装飾は罪悪(犯罪)である」という言葉も残しているので、
まさに確信犯というわけです。
しかし、このロースの勇気?のおかげで、現代建築へのベクトルができたというのは、たぶん間違いはなさそう。少なくとも、ヨーロッパの建築はこの頃過渡期を迎えていたのでしょうね。
逆な言い方をすれば、時代が彼を求めていた・・とも言えるのかも。

いずれにせよヨーロッパ建築史としては、避けては通れぬロースハウスということのようです。

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グラーベン<オーストリア・レポート8>
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ウィーン旧市街の中の繁華街グラーベン。

この名前は、かつてウィーンの前身だったというローマ帝国の軍事基地に由来しているというから驚く。
この通りを歩いているだけでも、建築史の教科書をめくっているよう・・・。
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レッティ蝋燭店<オーストリア・レポート9>
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世界的に有名になった気鋭建築家ハンス・ホラインが初めてつくった実作、レッティ蝋燭店(1964年)。

「コールマルクトという歴史街区に唐突に現れたアルミニュームのファサードに、鍵穴のような開口部、その狭い入口を通り八角形平面のショールームに入ると、鏡張りの店内が無限に広がりを演出している。極小の建築ながら、象徴性と仕掛けに満ちている」と紹介されている。
ホライン、やってくれます!

たった3mの間口と6mの奥ゆきに繰り広げられていた当時のディスプレイを見てみたかったです。
現在は、蝋燭店ではなくて宝石店になってしまいましたが。。
 

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シュリン宝石店<オーストリア・レポート10>
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ハンス・ホラインの手によって改装されたシュリン宝石店。
ウィーン旧市街の繁華な場所グラーベンにある。

建築ガイドブックの説明によると、
『このファサードでは、正方形グリッドに練り込まれた大理石の壁面を、有機的形状の「金工脈」が浸食している』と説明されている。
「暗喩的手法」によって・・とも表現されていましたが、何を暗喩しているのか・・・。

間口の狭いこの小さな小さなこの宝石店も、実は伝説の近代ウィーン建築という位置づけらしいです。建築というより、これ自体が一つの宝石か彫刻のようでもあり。

夫がまだ建築学科の学生だった時代にも、興奮してこの立面をスケッチ(印刷物から)した!というくらいインパクトを受けたと話していました。

このパイプオルガンみたいな円筒は中が抜けていて換気口の役目も兼ねて居るらしい。
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ペーター教会<オーストリア・レポート11>
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この教会の前身は4世紀後半にも遡るという。

現在の建築は、18世紀の初頭に建てられた。
優美なバロック建築。


あらためてウィーンってすごい。

都市のどこもかしこも、この精度で造られていることがまずほとんどあり得ない。
あり得ないことがあり得ているところがまたすごい。

同時に、アドルフ・ロースが「装飾は罪悪だ」と叫んだ言葉を思い出す。
そうして古典すべてを否定したかったロースの気持ちもなんとなく解る気がする。

これから何か生み出そうとする若い作り手にとって、この町並みの完成度は絶望的な気持ちにさせられるだろう。
新しく何を加えたらいいのか・・と、まずたじろぐところから始めるしかなさそうだ。
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シュテファン大聖堂<オーストリア・レポート12>
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 荘厳なシュテファン大聖堂。

13世紀に建てられた後期ロマネスク様式の教会を14世紀以降ゴシック様式に大規模改装されている。屋根の模様が印象的。
戦火にも遭っているが、戦後鉄骨で改修されたらしい。

学生時代、ウィーンに来た時どこを廻ったのかほとんど忘れてしまっている私も、この大聖堂を見た時のインパクトはさすがに覚えていました。
ウィーンの象徴ですものね。
現在も部分的に改装していて、かつて見たイメージより少しスケールがいささか小さく見えたのはそのせいだったのかもしれません。。


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ウィンナー・ビール<オーストリア・レポート13>
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凪が大道芸人のマジックに釘付けになっているあいだに、
大人はビールで一服。。
この日は、なんだか夏らしく少し気温も高めだったので、まだ明るいうちけどね、、)

ビールの肴は、目の前にそびえるシュテファン大聖堂だったりもする贅沢。



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Ende<オーストリア・レポート14>
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街中で見つけた交通標識。

ひきつったおやじ顔の水色の風船が破裂している。

Ende(=ドイツ語。英語のEndと同じ)にかけて
「おしまい」って意味のブラックユーモア?
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セセッション<オーストリア・レポート15>
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1897年せ設立された芸術家集団「分離派」の拠点としてつくられたセセッション。

球や直方体などの立体幾何学形態で構成され、月桂樹、フクロウなどの具体的なモティーフが統合されている。
内部は、展覧会場として対応するために余計なものを排除したシンプルな空間として保たれている。
当時としては画期的な半年という短い工期で完成したという。

キラ星の如くの芸術家たちがウィーンに集まった頃、いわゆる「世紀末」現象を起こしたあの時代です。

地下には、長い間行方不明になっていたというクリムト作ベートーベン・フリーズが展示されていた。(これには感動!)

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ウィーン郵便貯金局<オーストリア・レポート16>
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オットーワーグナー後期の代表作。
この作品で、彼の目指す「近代建築」の到達点となった作品。

御影石や大理石の板をボルトで留め、その頭がずらりと並んで新しい装飾効果になっている外壁。(当時では、目を丸くするようなアイデア!)
中央ホールでは、天井がガラスなだけでなく、床までガラスブロックになっている。これは、地下の部屋まで穏やかに自然光を送り込むため。

この建築は、私たちのウィーン・プログラムの中では本丸的存在でした。
特に夫にとっては、学生時代からいつかこの目で・・と願い続けた作品の一つだったので感動のご対面だったようです。
たしかに、そこは想像以上の完璧な光の空間で(あくまでも均質でまろやか〜)
私自身もいくつか見たオットーワーグナーの作品の中でもやはりこれが一番の傑作だと思いました。

奥のエキシビション・スペースに飾られていた手描きの図面、どれも美しかったなあ・・

でも、ここはどうも、一般の旅行ガイドブックには登場しないようですね。
私たち以外に若干名訪れていた人たちも建築関係者のようでした、、




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ベルヴェデーレ宮殿<オーストリア・レポート17>
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皇帝軍総指揮官として活躍したサヴォイ公オイゲンの庭園宮殿。

ベルヴェデーレは、良い眺め→望楼を意味する。
庭園越しに、ウィーンの美しい旧市街を眺めることができる。


関係ないけど、このカラスはツートンカラーでした。
真っ黒のカラスより愛嬌があって、
ベルヴェデーレの庭園にも、それなりにマッチしているようにも思えました。
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接吻<オーストリア・レポート18>
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ベルヴェデーレ宮殿の上宮は、現在、近代絵画の美術館になっています。


ここで、グスタフ・クリムトの代表作「接吻」が見られます。

当時は(19世紀)、「接吻」というテーマそのものがタブーだったのだそうです。
(ちょっと信じられませんよね?)

この絵はクリムト自身の恋人エミーリエ・フレーゲがモデルだと言われています。
ウィーンの総合芸術展で人々に大絶賛されたこの絵は、その後政府に買い上げられ、
21世紀現在このベルヴェデーレ宮殿の中に飾られるという経緯をたどっているというわけです。

生死やエロスなどをテーマにぎりぎりまで描き続けてきたクリムトの絵画は常に論争を呼び、(絵の依頼主である)時の大臣が銃撃される・・などの事件も起きたこともあるくらい、クリムト自身がセンセーショナルな存在でしたが、世間を矢面にしてもブレることのなかったクリムトがある意味正しかったことを彼の作品が証明してくれていると感じました。

この写真ではまったく表現できていない金色が実際はただただ美しく効果的に使われていて、いつまで眺めていても眺め足りない気持ちにさせてくれる傑作です。
そういう意味では、当時のオーストリア政府に対しても「お目が高い!」と褒めておいてあげましょうか。

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アム・シュタインホーフ教会<オーストリア・レポート19>
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オットーワーグナー設計のアム・シュタインホーフ教会。

この教会の見学は土曜日の午後3時と4時の2回の入場のみ、という厳しい条件だったにもかかわらず、私たちのウィーン滞在と偶然曜日も重なり中を観ることが出来たのは、大変ラッキーだったと言えるだろう。

・・・そんなわけで、この日はこの時間にここに来られるように調整して一日の予定を組み立てました。(車がないと少し不便な場所)

アム・シュタインホーフ教会は校外の精神病院の構内にある。
構内は丘状になっており、斜面をずんずん登った頂上付近にこの教会が見えてくる。(つまり、この教会からの見下ろしはスバラシイ)
精神病院の構内というのでもう少し閉鎖的な空間を想像していたのですが、むしろ明るく開放的で気持ちのいい場所でした。

教会の内部も、つい最近建ったと言われても信用してしまいそうなくらい、あくまで明るく清潔に保たれていました。
オットー・ワーグナーは、たった一人で、建築の歴史を50年、100年と前に進めた建築家なんだろうなと納得できるものがありました。
(しかし、私のbest of オットー・ワーグナーは郵便貯金局の方なのですが)

世界の建築・町並ガイド(エクスナレッジ編)には、
「大理石版とそれを留める銅製ボルト、同じく銅葺き(かつては金箔)のドームで構成される外観は、角張った基壇び上に優美な釣鐘状のドームが置かれたような形状。二重ドームなので内部では程度な天井高と音響効果が実現されている。祭壇および祭壇画、ステンドグラスも必見」と紹介されています。


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