3月うさぎ

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ウェディング・パーティ<オーストリア・レポート20>
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アム・シュタインホーフ教会の庭で、結婚のパーティをしていました。
ちゃんと生バンドまで来ていました。
式は当然、この中で・・ということなのでしょうね。

おしあわせに〜♪
中欧旅行7
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Triest<オーストリア・レポート21>
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日本でもコンランショップで有名なコンラン卿が、
1996年、ウィーンで初めてデザインホテルを手掛ける。
そのホテルがここトリエスト。

17世紀、ウィーンからイタリアのトリエストに向かう場所の始発場だったことから、
この名前がつけられたらしい。
中欧旅行7
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ナッシュマルクト市場<オーストリア・レポート22>
3月うさぎ
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「ウィーンの胃袋」と言われるナッシュマルクト市場。

マルクトがマーケットって意味だから、それに市場をつけるとちょっと意味がダブるんだけどね。ま、いいか。みんなそう呼んでるらしいから。
(金閣寺を英訳すると、金閣寺テンプルになるのと同じようなものかな。。)

ここは、ラテンそしてアラブ、オリエンタルまで・・・100を超える小さな食品を中心とした店舗が立ち並んでいる。
あくまで端正で洗練されたゴミ一つないウィーンの町並みの中で、ここだけが猥雑でゴチャゴチャしている。
不要な段ボールが積み上げられていたり、いろんな匂い(人種も)が混じり合っていたり・・・しかし、こういうところもウィーンにあるのね・・・となんとなくほっとさせられる。

一番上はオリーブやさん(オリーブもこんなに種類があるんだね☆)、

二番目はスイーツやさん(けっこう見た目濃厚ですよね?!)、

一番下はスロヴァキアのコシチェのアパートメントの朝食で登場したポットとカップ&ソーサーが一体になったティーセット。
こちらでは、ポピュラーなモノだったんだ〜。
色とりどりでかわいいね。
でも、もし購入するとしたら、私はやっぱり真っ白のがほしいけど。。

中欧旅行7
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ラブ・ストーリー<オーストリア・レポート23>
3月うさぎ
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なんとなくスパゲティが食べたい気分になって(別に他の麺でもいいのだけれど、ヨーロッパで麺となるとやっぱりうどんやおソバというわけにもいかず)、
ナッシュマルクト市場の中にあるカジュアルなイタリアレストランに入ることにしました。

その小さなレストランで、思いがけず素敵なラブ・ストーリーに遭遇することに。。


このカップルの席に大きな花束があるのがわかるでしょうか?

このレインボーのシャツを着ている中年の男性(実は、車いすに乗っている)
このクリクリブロンドの彼女(恋人か奥さんかはよく判らない)との食事中に、
店員さんがこの花束を届けに来た。
勿論、このレインボーシャツの男性の彼女へのサプライズ。。

花束がテーブルに置かれると、彼女はものすごくびっくりして泣き出して、それから「ありがとう、ありがとう」と何度も何度も言いながら、長い長い長〜〜〜〜いキス・・
(クリムトもびっくり?!)

彼女の驚き様と、幸せそうな表情が特別可愛くて、車いすの男性も彼女への日頃の感謝をすべて花束に託したって感じでとてもやさしそうで、まるで映画を見ているようで、そばにいた私たちまでもらい泣きしそうになってしまった。。

うちの夫があとでその花束を届けた給仕さんに、
「感動的なラブ・ストーリーだったね。しかも君は重要なキューピット役じゃないか。」と話しかけたら、
「もちろん!ここはイタリアンレストランだからね」だって。
(たぶん、イタリアはアモール(愛)の国だからって意味だと思う。)


その後の凪の反応もなんだかおかしかった。

食後の散歩の時、たまたま通りかかった他のイタリアンレストランが雰囲気が良かったので、私が「こっちのお店でもよかったかな〜」なんてつぶやいたら、
凪が「ううん、ぜんぜん後悔ない。ぜったいあのお店の方がよかった!
だって、(あの二人のおかげで)本当に幸せな気持ちになれたもの・・」
ですって。



中欧旅行7
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マヨルカハウス<オーストリア・レポート24>
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ナッシュマルクト市場の向かいに建つマヨルカハウス。
これも、設計はオットー・ワーグナーです。
(彼は、その時代には本当に売れっ子だったんだろうな・・)

壁面の赤いバラの模様は、マヨルカ(スペインのマヨルカ島)タイルを使用しています。

ここはアパートメント。
今も住人が住んでいるため、内部を見ることはできません。


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メダイヨン・マンション<オーストリア・レポート25>
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そして、そのマヨルカ・ハウスの隣が、
メダイヨン・マンション。
ユーゲントシュティール(19世紀末の、旧体制を打破しようする芸術活動)の作品。
オットー・ワーグナーも、グスタフ・クリムトもこの集団の中にいました。

ファサードの繊細な金細工は、ロコ・モーザ作。
よく見ると、マヨルカハウスと軒の高さも合わせてますね。
ワーグナーは、屋上にシンボルティックな女性(女神?)を配するのがお好きなようで、
郵便貯金局では「ようこそ」、ここでは「ヤッホー」のスタイルをしています。

日本に持って来ると、なんか浮きそうだけど、
ウィーンで見ると、ヘンにうなずけてしまう。
ガウディの建築が、バルセロナの町並みに溶け込んでいるのと、同じ方程式かな。


中欧旅行7
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カール・プラッツ駅<オーストリア・レポート26>
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オット・ワーグナーばかりが続きます。

この駅も彼の作品です。
この時代のウィーンは、本当に彼の一人勝ちの様相です。

1899年に地下鉄カールス・プラッツ駅の駅舎としてつくられました。
現在もまだ現役だそうです。すごいね。


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カール教会<オーストリア・レポート27>
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カール教会。

カールとは、カール6世のこと。

ペストの流行の鎮静を感謝して、カール6世が聖カール・ボッロメウスに捧げた教会。

ファサード中央に神殿型ボルティコとドーム、左右に鐘楼を配置している。
その間に、33mの高い柱が2本そびえたっている。
(夫曰く、これは相当珍しい!と。。)
これは、ローマのトラヤヌス記念柱を模してつくったのだそうです。
やっぱり、イタリア特にローマへの憧れは、ウィーンをしても強いようですね。

このカール教会に近づいた時、この看板をめざとく見つけてしまった。
「 REQUIEMMOZART」
モーツアルトのレクイエムの演奏会がここであると言うのです。
なんと、数時間後に!

実は、私、スロヴァキアの木造教会巡りをしている時、モーツアルトのレクイエムがどういうわけだか頭から離れなくて、ふと口ずさむのがレクイエムって、、、などと、一人自分につっこんでいたのです。(これ、ホントの話!)
だから、カール教会の階段の上にこの看板を見た時には、もう神様の思し召し?としか思えなくて、「私、これ見る!」と叫んでおりました。

階段の手すりに並んで座っている東洋人二人(翼の石膏像の後ろ)が、夫と娘です。
コンサートの会場を待っているところ。

言い出しっぺの私は、チケット売り場の列に並んでいます、、ハイ。


つづく。。。



中欧旅行7
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朝食@Triest<オーストリア・レポート29>
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ウィーンのホテル、トリエストの朝食は、
気持ちのいい中庭で。。

フルーツとヨーグルト好きの夫は、いつも
主食でお腹がいっぱいになった後も、
別腹でこれくらいは平気でいただきます。

お茶の種類も多かったので、
私はハーブティをいくつか試してみました。

旅行中は、朝食メインな我が家です。
(やっぱり宿泊料に込みなのは、有り難い!ッス。)

中欧旅行7
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Museums Quartier<オーストリア・レポート30>
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見たい建築は尽きねども・・・ノルマはなんとか果たせたので、
ウィーン最終日(しかも、2時頃にはプラハに向かって夕方には車を返す約束!)は、美術館巡りに充てることに相成りました。

ウィーンには、ミュージアム・クウォーターと呼ばれる世界でも最大規模の美術館、博物館ゾーンがあります。
これを見逃す手はないものね。。

まず、ここの名物は、この巨大な椅子。
みんな、ここの上でごはんを食べたり、本を読んだり、寝そべったり・・・自宅の居間のようにリラックスして過ごしています。

時間の許す限り、いっぱい観て回るぞ〜♪
中欧旅行7
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Leopold Museum<オーストリア・レポート31>
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エゴン・シーレ、グスタフ・クリムトら19世紀の世紀末から20世紀にかけて活躍したウィーンの分離派の代表作が納められているレオポルド美術館。
私はたぶん2度目なんじゃないかと思うけど(一度目ははるか昔)、古い美術館も内装が部分的にリニューアルされて最近風になっていました。

この後ろ姿は夫。
なにやら、学生時代に模写したことがある当時好きだった分離派のポスターの実物が、予期せず目の現れたのに興奮して、このとおり。(この足の角度に喜びが溢れている☆)

あ、この美術館、なんと全面的に撮影OKなのです!
フラッシュさえ使わなければ撮り放題。

しかも、油彩などガラスで保護したりもしていないし、触らなければまじまじ近くで眺めることもできる・・・ありがたや・・・


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エゴン・シーレの風景画<オーストリア・レポート32>
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エゴン・シーレというと、人物画ばかりにスポットが当りますが、
今回特にその風景画に目を奪われました。
・・・というより、もっとシーレの風景画に高い評価を与えるべき・・と強く感じました。

若い頃、シーレの絵を観た時は、彼の苦悩があまりにも生々しく筆に現れている気がして、なんかしんどくなるのであまり好きじゃないと思っていたのですが、
今回は、直接心臓をわしっと掴まれたみたいな衝撃が走った気がしました。
風景画で、人の魂を揺さぶるとは・・・やはりこれを天才!と言わず何と言おう・・ですね。

映画や本もそうですが、絵もやはり観る時期によって感想が変わるものですね。
たぶん、こちらもそれなりには変わっているのだろう、と思いました。


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生と死<オーストリア・レポート33>
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そして、そして、
ウィーン、レオポルド美術館と言えば、やはりグスタフ・クリムトの「生と死」。

テーマは非常に判り易いけれど、こういう表現はやはりクリムトにしかできませんよね。

ウィーンの(19世紀)世紀末美術があれほどにまで盛り上がった最高の貢献者は、やはりこの人なのではないでしょうか。


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SALVADOR DALI<オーストリア・レポート34>
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ウィーン世紀末美術の後は、ダリ展。そして、EPACE展。

欲張りですよね。まったく。。


ダリの展覧会は、実はあまりいい作品が来ていなかった。
ダリ美術館(スペイン)で観たような全盛期の作品ではなく、
スキャンダルに満ちたニューヨーク時代の作品が多かったように思う。

EPACE展というのは、宇宙をテーマにした美術展。
しかし、美術作品として見るには、イマイチ何か物足りないという感想。

急ぎ足だったけど、ミュージアム・クォーターは、満喫できた感じ。


しかし、例の巨大ベンチに座ってみるの・・忘れてた!!

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ウィーン駐車事情<オーストリア・レポート35>
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これは、ウィーン市内のパーキング・チケット。

ウィーク・デーは、基本的に駐車する度に、このチケットが必要になります。
日本の高いに比べると、さほどの金額でもないのだれど、いちいちチケットを用意するのが面倒くさい。

ただ、ウィーク・エンドとなると、いきなりオール・フリー!
どこでも止まり放題になります。

私たちも最初の日は駐車に苦労しましたが、二日目からちょうど土日にかかったのでラッキー☆でした。


ようやくウィーンの複雑な道(一方通行事情で)もまあまあ把握できるようになって、駐車も慣れて来たと思ったところで、いよいよウィーンにおさらばです。

これから、高速を使ってプラハまでひた走り、プラハ市内のホテルの前で夜7時に車を返却することになっています。
ウィーンからは高速道路が通じてないので、一旦スロヴァキア首都のブラスチラヴァ(車で30分程度)にもどって、そこからプラハまでは高速で3時間程度・・・というところかしら。。

3国の首都間がそれほど短時間で動けるなんて、島国日本の感覚ではちょっと妙な気分。

もともと、ウィーンという都市そのものが、交通の要所にできた街だったので、余計にそういう印象を受けますよね。


まだまだ掘ったら出て来る!出て来る!宝の宝庫ウィーンですが、この街はもしかしたらまた来るかもしれないって気持ちで後にすることができます。

ウィーン!楽しかったよ〜
また、来るね!!
・・・って、感じ。

中欧旅行7
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高架橋の上にいる人たち<チェコ・レポート47>
3月うさぎ
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もう一度チェコ・レポートに戻ります。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


プラハに帰る高速道路を走っている時、
運転している夫が妙なことを言い始めました。

高速道路に架かる高架橋(人も渡れる)に必ず人がいる。
しかも、大抵は下を見下ろしている・・・と。

そう?と言いながら気にしてみると、
なるほど、ほぼ例外なくこんな風に高架橋の上には人がいて、
どうやら車の流れをずっと見ている様子。

しかし、街ならまだ人がいるのも理解出来るが、
ずっと何にもない牛さえいないような風景が続いていても、いるのだ。人が。橋の上に。

一度、気になり出したら、とことん気になって、(笑)
すべての橋で人がいるかどうかチェックしたけど、9割9分いるという状況。

しかも、橋の上から手や旗を振っている人までいたりする。
たまたまとは思えない。本当に人が自然にそこにいることが困難なような場所が多いからだ。


・・・そういうことであれば、こちらも窓から手を振ったら誰か気づくだろうか?と、
2度窓から手を出して振ってみたら、なんと2度とも手を振り返してくれた。
こういう微妙なコミュニケーション、意外と楽しい。
(娘には、何やってんの!とつっこまれたが、、)

・・・・・・しかし、それでも謎は残る。
あの人たちは一体何の為に橋の上から車を見ているのだろう。。


もし理由をご存知の方、ぜひ教えていただきたい。
しかも、それがチェコだけのことかどうかも是非知りたいところ。
(気になる〜〜)



中欧旅行7
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チェコ・キュビズム<チェコ・レポート48>
3月うさぎ
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プラハに着いたのは、午後5時頃だっただろうか・・・

最初、プラハを出てスロヴァキアに向かう時はわざと高速を使わず、地の道を小さな町や村に寄り道しながら進んだが、帰りは時間短縮のため高速道路を使ってみると、速い、速い、
ウィーンとプラハは東京大阪間よりもずっと速く着いてしまうことに驚く。

・・というわけで、車を返す7時にはもう少し時間がある。
(・・と言うより、プラハで見ておきたい建築を最後に見るために、少し早めにプラハに戻って来たのだが。。)
見ておきたいというより、押さえておきたい・・という感じか。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

20世紀初頭、ピカソやブラック等によって、絵画にキュビズムという現代美術の新しい動向がもたらされた。
キュビズムとは、古典的な一点画法を否定し、いろいろな角度からの視線の一つの絵に集約するという画法。言い換えれば、三次元のすばての面を平面表現しようとした試みとも言える。

その流れを受けて、第一次大戦後のわずかな期間、建築の世界にもキュビズム建築が生まれた。
しかも、それがチェコという場所でだけというのが興味深い。

それぞれの壁面を三角形に分割し、建築のすべてをファサードに込めて表現しようとしている。

なぜ、チェコで?という問いには、西欧に最も近い位置にあり、新しい動きにも敏感だったが、それとともに、民族の自立の意識も高かったからというのが一つの答えなのだろう。
モダニズムに向かいながらも、歴史を顧みる・・・文化的な自立を模索した当時のチェコが生んだチェコ・キュビズムはかくして誕生したということか。。

100年経った現在でも、それなりにある種の新しさと独特のとんがった感を
維持していました。
窓の外には、モルダウの流れが一望・・・インテリ文化人たちに好まれそう。


中欧旅行7
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ダンスするビル<チェコ・レポート49>
3月うさぎ
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チェコのハヴェル大統領の推薦により、アメリカの人気建築家フランク・ゲーリー(作品にビルバオ・グッゲンハイム美術館など)と。地元チェコのミルニッチの共同設計によって、第一次世界大戦の爆撃跡地に建てられた。(1996年)

建築家の着想の素になったのは、ダンスコンビのジンジャーとフレッド。
角地に建つ、二つの異なる造形の塔がダンスしているように表現されている。

ゲーリーの起用が、古典の優等生プラハに風穴を開けた感じ。
勿論、竣工当時には、「プラハの汚物」とか言われてケンケンガクガク大騒ぎだったらしいけど、、
時を経て大統領の思惑は概ね成功したようで、現在は、プラハの新しいシンボル(&アイドル)的存在となって、ちゃっかりマグカップやクッキーなどお土産グッズとしても活躍しています。

このビルにつけられている名前を知る前に、写真だけを見ても、
わ!ダンスしてるみたい!
・・って思ったし、実際ホンモノ見ても街のいい感じのアクセントになってる気がしたから、
ワタシ的にも◯かな。(内部は見られなかったけど)

やっぱゲーリーはおもろいおっさんだワ。

中欧旅行7
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Hotel Neruda<チェコ・レポート50>
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ホテル・ネルダ
プラハ城から300mのところにある、14世紀の建物を利用したホテル。

ホテルの名前は、チェコの有名な詩人で文筆家のJan Nerudaにちなんだもの。





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飛行機雲<チェコ・レポート51>
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ついに、2011年夏の旅行も最後の夜を迎えております。

プラハを味わいながら、最後にもう一度カレル橋までやってきました。
どの日も楽しかったな・・と思えるのが、有り難い。

ふと、見上げると、長い長〜い飛行機雲。

翌日には、私たちもまた機上の人です。
中欧旅行7
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