3月うさぎ

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子どものためのワークショップ <フィンランド・レポート55>
3月うさぎ
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ヘルシンキの国立博物館の中にある子どものためのワークショップ。

フィンランドは、ここ数年学力テストが世界一のレベルになっていることで世界から注目を浴びている。
一度くらい学校へも足を運んでみたかったが、これはとうとう叶わなかった。
ただ、ヘルシンキで借りたアパートメントホテルのオーナーのharadaさん(彼女は日本人だがご主人がフィン人。そしてそのお二人の間にハーフの男の子がいる)とその話になった時、その理由として、フィン人は遊ぶ時は遊ぶ、勉強する時は勉強する・・・と集中力が養われている点、それから、とにかくよく本を読む点を挙げていた。
もしかしたら、半年にも及ぶ暗くて長い冬が関係してなくもないのかもしれない。
娯楽が少ないこの国で、生真面目な国民がすることと云うと、ひたすら「勉強」ということになるのも分からなくもない。(最近はITも発達しているようだし)
学校がどう、塾がどうという前に、一人一人の学びの姿勢が違うような気がする。

そのことに加えて、この博物館のワーククショップで感じたのは、遊びの中で学ぶこと(あるいは学びの中で遊ぶこと)も上手なのかもしれないということだった。
この部屋の中では、歴史上の人物、フィンランドの地図がパズルになっていたり、木目のサンプルと木の名前を、また各地の農産物と場所を一致させたり、レンガ(偽物)を積んでみたり、ミニログハウスを組み立ててみたり、機織の機械が使えるようになっていたり、・・・生活のネタそのもので遊べるようになっている。

日々大学生相手に建築の設計を教えているうちの夫が羨ましがっていたのは、フィンランド国内の主な建築物のその名前と時代と設計者当てていくゲーム(上の写真)。こんなもので子どもたちが遊んでいるということに驚いていた。
確かにヨーロッパでは普通のその辺のおばさんや小さな子どもでも、自分の町の建築物やその設計者については当たり前のように知っていることにびっくりする。
こういう風にして、知識と教養があまり意識しないうちに身に付いているのかもしれない。
大人になっても自分の国の建築家の名前を2人と挙げられない我が国とはエライ違いかも・・と、同じ建築関係者としてはベースの部分の違いを思い知る機会にもなった。

日本はフィンランドの学力の高さの秘密を探りたいようだが、そんなに性急に真似できるものと思っているところがまず間違っている。
すべてに渡ってのベースが違いすぎる。
日本は、日本で、自分の国に合った改善法を考えていくべきではないかと思う。





フィンランド旅行3
comments(6)
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私が子どものころは 鉛筆削りは高級品で たいていの子はかみそりのついたナイフで早くから削ってましたし 2.3年で彫刻刀を使って石こうを削った記憶があります。理科の実験でマッチを始めて擦ったり 授業の中でいろいろ経験できたように思います。 今は習字の時間は墨汁を使うことが多いようですが 私の時代は墨を磨って始まるのをまっていました。経験することはとても大切ですよね。遊びながら学べるなんて最高です。
さっちゃん : 2008/09/14 3:49 PM
さっちゃんは、やっぱり私よりは一世代くらい年上になるのかしら???

私たちの子どもの頃は、小学校でも手動の鉛筆削りはみんな使っていたような気がします。
でも、そうは言っても、ナイフも彫刻刀もよく使っていました。少なくともあの頃の方がそれを凶器として使う発想など誰にもなかったように思います。
勿論、書道は墨汁もありましたが、それは禁止でシコシコと墨を摩っていました。墨を摩るのがある程度大変だと感じている方が書くときも真剣になって、紙を無駄にしないという良さがあるように思います。
ただ、自分はそう思っていても、子どもにその価値観を伝えるのは、簡単なことではありませんね。
日本はちょっと便利になりすぎてしまいました。

3月うさぎ : 2008/09/14 7:03 PM
ものが豊富 便利と言うのは幸せですが 何か大切なものを無くしていくように思います。
七輪で火をおこし食事の用意をしていました。ガスコンロは1.2年生のとき我が家で使い始めた記憶があります。暖房も火鉢 練炭火鉢 石油ストーブと変化しました。テレビのない家庭が多く見せてもらいに行った経験があります。お風呂屋さんに通いました。(お風呂上がりのフルーツ牛乳は最高でした。)

ず〜っとず〜っと年上だとおもいますよ。
さっちゃん : 2008/09/14 11:46 PM
あれ〜私は3月うさぎさんよりは、若いんですけどー(笑)
小学生時代、鉛筆はずっと自分で削ってました。電動削り器なんてモノを使ってた友達もいたんですけどね・・なんでかな〜親が買い忘れただけ?私も”欲しい”と言い忘れていただけ?(・・ってかそれで6年過ごしてしまったとは・・自分でもあきれますが)

便利な世の中になったのなら、生活にもう少し時間のゆとりが生まれても良さそうなのにねー・日々時間に追われております。(子供も!!)
emem : 2008/09/15 2:20 PM
さっちゃんへ

思い出すと胸がキュンとするような懐かしい時代ですね。
家のお風呂よりも芯から温まるからか、寒い季節は時々家族で銭湯に出かけていました。私も楽しみにしていたのはフルーツ牛乳でした。どうして湯上がりはあんなに美味しく思えるのでしょうね。家で飲んでもそんなに感激はないのに。
七輪で食事の用意なんて、今から思うと逆にとっても贅沢ですよね。
3月うさぎ : 2008/09/15 3:51 PM
ememさま

あはは、若ぶってみたけど、バレたか・・・
いやいや。

うちの両親はどちらかと云うと新しいモノ好きなところがあったからねえ。別にお金持ちでもなかったけど、平成の我が家にもない電動式の鉛筆削り器なんてものも中学くらいではもう持っていたかも、、、、、(もしかしてイヤな奴?)
白黒テレビはさすがに生まれた時からあった気がしますが、カラーテレビが来た日のことはなんとなく思い出せます。
きっと、うちは普通より早く購入したのかも。近所の子どもが見に来たりしていたから。
いつもNHKくらいしか見ない両親と、ゲバデバ、ピーなんて番組を一緒に並んで(しかも部屋を暗くして)見ていたのを思い出します。

でも、当時は3種の神器じゃないけど、世の中を明るくしてくれるモノに対する憧れと感謝があった時代ですよね。
今は、プラズマTVが家にやってきても(やってきてないが・・・)あんなに歓喜で迎えられることはないような気がします。たぶん、世の中がモノに溢れてしまったから、感激する気持ちすら失ってしまいつつあるんだろうな。
今は、むしろ、七論で焼いたお魚の美味しさに感激する時代なんだと思います。
ゆとりってなんなんだろうね。


3月うさぎ : 2008/09/15 4:08 PM









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