エアメールで訃報が届いた。
スイスの友人エリザベートさんが亡くなったことを娘のキャサリンが知らせてくれた。
エリザベートさんとの出逢いは、あまりありふれてはいないかもしれない。
9年前夫とスイス旅行をした時、バーゼルに住んでいる友人にバーゼルにも寄るからと知らせたら、その友人がお料理教室(なんと日本食の!)で知り合ったお友達が自身が住んでいるアパートがちょうどその時期にアメリカに住んでいる娘さんに会いに行くため留守になるから使ってもいいよ、と申し出てくれたのだ。その親切なお友達がエリザベートさんだった。
つまり直接はまだ会ったこともない外国人旅行者に住んでいるアパートを貸してくれたのだ。
彼女はリタイアしていたがもとは建築設計の仕事をしていたので、「日本から建築家夫妻が遊びに来る」ということで親近感を覚えてくれたらしい。(それよりもまず私の友人との信頼関係があったからだろうけど。)
私たちはその旅であつかましくも、まだエリザベートさんを知らないままアパートと車(かわいらしいfiat)を貸してもらった。
驚いたのは、彼女の年齢(その頃60代)からは想像できなかった若々しいアーティスティックなインテリアで、しかも、キッチンやリビングの戸棚の引き出しやトビラのすべてに付箋紙がついていて中に入っているものを書き出してくれていた。そして「どの引き出しも遠慮なく開けて自由に使っていいよ」と手紙まで残してくれていたこと。この時の感激は今も忘れられない。(後に、うちの主人はこのエピソードを新聞のコラムにも書いている。複数の方から感想もいただいたっけ。)
そして、旅の最後の最後でもう一度戻ったバーゼルでアメリカから帰国したばかりのエリザベートさんに初めて出会えた。「これがスイス式の夕食よ」と振る舞ってくれた家庭料理は質素だったけれど、一つ一つが吟味されていて美味しかった。何より、エリザベートさんは想像したとおり、いえそれ以上に優しくてすごくかっこいい女性だった。同席した彼女のパートナーや娘さん達も本当に感じのいい人たちで心地いいカルチャーショックを受けたものだ。エリザベートさんは、ドイツ系のスイス人、パートナーはポーランド人、娘さんのご主人はなんとアフリカのアーティストだった。そして、アジアから来た私たち、ちょっと集まっただけでこれだけ国際色を出せるのは、それだけで国境の町バーゼルらしいと言えるのかもしれない。
その数年後、エリザベートさんは、日本にも遊びに来てくれたこともあった。日本では和紙漉きを一緒に体験したなあ・・・。
私と(当時3歳だった)娘がまたアパートを借りた時には、エリザベートさんはまたアメリカだったので、近くに住んでいる娘のキャサリンが私たちに気遣っていろいろ世話を焼いてくれたが、やっぱり留守宅は私たちが心地良いようにさりげなくいろいろ用意してくれていた。
冬にはいつも美しいクリスマスカードをいただくのが恒例になっていたが、2年程前初めてクリスマス以外の季節に手紙が届いた。その手紙には、「私は癌になってしまったので、もうアメリカの娘に会いに行くことができなくなった。もうアパートを貸してあげられなくなったけれど、娘の家にも泊まれるからまたバーゼルに来てね。」と書いてあった。
そして、その年のクリスマスカードも、私が書いたクリスマスカードの返事も来なかったので、もしかして病気が悪化しているのでは?と心配していたところだった。
そして、この手紙・・・・・。
尊敬するエリザベートさん。大好きだった彼女のアパート。もう二度と会えないのが本当に寂しい。
外国から訃報が届くのはこれで2度目だが、故人が生まれた日付、亡くなった日付を書く習慣はとてもいいと思っている。
そういえば、日本の喪中の葉書って亡くなった人のことが何も分からないよね。