5月2日は、天皇皇后夫妻も被災地訪問の予定をキャンセルした程の強風で(実際、強風警報なども出ていたらしい!)、立っていても引き飛ばされそうになるくらいのとんでもない風との戦いでした。
そのせいか、集落はいくつ訪れても、ほとんど誰もいない状態。
それでも、壊れた建材、外れかけのシャッター、割れたガラス、垂れ下がった壁、折れた柱、倒れた電柱、横倒しの木々・・そんなものたちが、パタパタ、キュルキュル、バンバン、トントン、ガンガン・・・ひたすらにぎやかに合奏し続けていました。
時折、突風で剥がれたものが飛ばされてくるので、コワイ、コワイ、、
軍手とマスクは用意していましたが、これはヘルメットも必要だったかな、、と、視覚聴覚の休まらない集落訪問になりました。
夫は、設計の仕事もしていますが、こういう海沿いの斜面の集落の研究者でもあり、これまでも数えきれないほどの集落を廻って来ました。(その半分くらいは私も見ているのではないかと思います。)
その豊かな地形と独特の集落の造形に魅せられて、こういう漁村にはことあるごとに立ち寄ってきたのですが、その造形がもぎ取られた入り江を見るのは当然ながら初めてのこと。
海とつきあうということは、こういうリスクも含め、、ということだったのだと、あらためて哀しい教訓いただきました。
でも、漁村に暮らす人たちは、毎日海を見て海を読んで暮らしているので、津波が来たら動ける人はほとんど高台に逃げて多くの人が助かっていると聞きます。
それでも私ならあの津波を見てしまったらもうここには怖くて住めない・・と考えるような気がしますが、集落に住むほとんどの人は、やはりよそには住みたくない、ここから動きたくないと考える人の方が大半のようですね。
津波は海の一つの表情にすぎない・・と言ってのける人もいました。
日頃から海の表情を知り尽くしている人の言葉だよな。。
直ちにというわけにはいかなくても、住みたいと思う人たちがいる限り、ここにまた元の生活が戻ってこられたらいいのに・・そんなことを考えながら、ひたすら強風に吹かれ続けた一日でした。
(風は写真には写らないですね、、)