昨日、ご紹介した「舟を編む」の最初のあたりに、
荒木という登場人物が生涯「舟を編む」(辞書を作る)側になったのは、
叔父さんから中学の入学祝いに「岩波国語辞典」をもらったのがきっかけになったというエピソードが綴られている。
「岩波国語辞典」といえば、king of 国語辞典と言ってもいいですよね?
昨日もチョロっと登場した私の父は、実は「歩く岩波国語辞典」でありました。
本人曰く、「岩波国語辞典ならほぼ一冊記憶している」と豪語していて、(むしろ謙虚でハッタリなどいう人ではない)兄と私が、いくらなんでもすべてというのは無理でしょう!と、その辞書から、読み、書き、意味など、どうにかギャフンと言わせたくて、これでもかという難問を何度ぶつけてもよどむことなく返答し、結局父が国語辞典において言葉に窮したということは、少なくとも私達の前では一度もなかったと記憶しています。
父親は、記憶力は何事にも相当優れていて(円周率の200桁くらいは憶えていたと思う)いわゆる勉強一般に良く出来た人でしたが、(岩波国語辞典に於いては、相当時間も費やしたからか、ある意味今でいうオタクだったのか、本当に完璧に頭の中に一冊この辞書がすっぽり入っているような不思議な人でした。
(この才能は突然変異だったのか、まったく子や孫に遺伝している気配なし、、まことに残念☆)
「なぜ岩波の国語辞典なのか?」と聞いたこともあったように思いますが、あまり明確な応えは憶えていません。たぶん一番完成度が高いと思われたから・・というようなことを言ったかもしれません。
そうは言っても、もちろん「岩波国語辞典」の話しがしばしば出て来たというわけではないですが。
文学も好きだけど、ストーリーより前に言葉全般についてものすごく興味があって、たとえば朝食を食べ乍ら「黙ると騙すは語源が一緒」なんて言い始めたりする・・・そういう会話の中で育ったというのは、今あらためて考えるとなかなか貴重?だったのかもしれない。
とにかく、父がそういう人だったので、私の国語辞典も岩波になったのは言う迄もありません。
ただ、学校に持って行くと、圧倒的多数だと思い込んでいた岩波が実は少数派で(たぶん岩波は大人向きで学生向きではなかったのかも、、)小学館や三省堂などの国語辞典を持っている人の方が多かったのが私にとってはけっこう衝撃でした。
そんなわけで、国語辞典を父親抜きに語れない私が今手元に持っている国語辞典は、2冊の岩波国語辞典。
1冊は学生時代ずっと使ってきた第二版(深緑の表紙)。もう1冊は第四版(白の表紙)。
どちらもかなりヨレています。。
1冊目はたぶん歩く岩波国語辞典さんに与えてもらったのだと思いますが、2冊目は、本当に先程まで自分で買い直したと思い込んでいましたが、最後のページに父の書き込みがありました。(父の蔵書はかなりの数だったので、こうやって買った日付などを購入した日にメモを残すのがクセだったのです。)
63’0830by. 511066as
・・・とあるので、たぶん購入したのは昭和63年8月30日。
(byというのは、たぶんbuy=購入という意味)
511066は蔵書の区分けかナンバリングで、
asというのは、旭屋書店ってことだと思います。
kino(=紀伊国屋)というのも良く出てくるので。
「舟を編む」のおかげで、懐かしい思い出が数珠つながりで甦りました。。
辞書に関しては、父の足下にも及びませんが、少なくとも岩波国語辞典にはこれからもお世話になり続けたいな・・と思っています。
(辞書好きのおじいちゃんの血を引く孫はすっかり電子辞書派ですけどねf^^;)