3月うさぎ

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クヴァルネル地方<クロアチア・レポート20>
3月うさぎ
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スロヴェニアやイタリアに近いクヴァルネル地方 / Kvarner
アドリア海沿岸の美しい海岸線を取り込んだこの地方は、国内にも国外にも人気がある。
海の水は澄んでいるし、折り重なる無数の島が景観の表情を豊かにしている。

クロアチアの海岸沿いを車で走っていると、あることに気づく。
たとえば、ギリシャやイタリアなら、海水浴場がところどころにあって、そこに人や店が集まるという図式(日本も基本的にはそれですよね。)ですが、クロアチアの海岸線には砂場があまりないのか、大抵はこんな感じの岩場で、それぞれに泳げる場所を探して、パラパラと散らばって泳いでいるという印象です。
でも、岩場は岩場なりに、こんな風に時々船着き場や飛び込み台が容易されていて、ま、勝手にやってよ!って感じでなんとかなっているようです。

アドリア海なのものが大きな入り江のようなものなので、大きな波に襲われることもなく、
基本海は凪の状態なのでしょう。
台風国とは様子が違うな〜と羨ましい気持ちになります。

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アドリア海紀行11
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現代建築@リエカ<クリアチア・レポート19>
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リエカの街を少しグルグルと散策している時、
夫が「ああ〜っ!!!」と声をあげました。

建築雑誌「A+U」で、つい最近紹介されていたのを見たばかりの建築が急に目の前に現れてびっくりしたようです。

普段の旅では、古い建築、最先端の建築、バナキューラーな建築、いずれにも興味があり、
そのせいもあって、訪れたい場所がtoo manyになりすぎるという傾向がある私たち。。
しかし、今回の旅は、意識して、特に個体の建築にこだわるのでなく、大まかに街や集落の構造、そして地形そのものを味わいたいね、という主旨でいたので、夫もあまり熱心に建築の訪問リストを作ったりはせず、私に任せっきりになっていました。
・・ので、突然の出遭いにいささか興奮したようです。

どうやら、キリスト教関係の施設らしい。
しかも、新築ではなく改装らしい。
古い建物をすっぽりこの斬新なレンガ作りで覆う・・という1アイデアで押し進めている。
明解な造形だ。

しかも、このレンガは周辺のどこにでもある平凡なレンガで、ただ単に積み上げ方だけを凝らしたというシンプルさがかえって風景から浮き立つ。(いい意味で。)

古典もいいですが、モダンもいいです。
いい具合に混じり合うのが、魅力的な街づくりの必須条件だという気がします。


アドリア海紀行11
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リエカ<クロアチア・レポート18>
3月うさぎ
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午前中にオパティヤ出発!
30分ほど車で走って、クロアチア最大の貿易港、リエカ / Rijekaへ。

首都ザグレブからも185km程度なので、飛行機でザグレブまで来て、リエカや他のイストラ半島の町だけ訪れて夏のバカンスを楽しむ・・という観光客も多いのではないかと思われます。
アドリア海を巡る大型フェリーはここを拠点に運行されてることが、相乗効果になっているようです。

私も初めは、このリエカに宿を取ろうと思ったのだけれど、4月の段階でもうめぼしい宿一杯で、それでオパティアで偶然空いていたホテルを予約したという経緯もあったりして。。

リエカは、川という意味。(イタリア語のフィウメ/Fiumeとも呼ばれる)
その名のとおり、町の真ん中を川が流れ、川を取り囲むように町が形成されています。

川は英語でRiver、フランス語でRiviere、スペイン語ポルトガル語ではRio、クロアチア語でRijeka・・・

いずれもRで始まる言葉の「川」もありそうです。



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朝食@ Hotel Villa Kapetanevic<クロアチア・レポート17>
3月うさぎ
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オパティヤでの宿は、Hotel Villa Kapetanevic
海沿いではなくて、斜面を上がって海を見下ろす位置にあるヴィラタイプのホテルです。
海へも歩いて行けますが、一応ホテルにも小さなプールがついてました。

そういえば、ホテルでは、凪が人生で初めて
自分でフロントに電話をかける(in English)という体験をしました。

インターネットに接続するWifiのパスワードをフロントに聞き忘れたけど、
どうしてもネットを見たかったようで・・・私が面倒臭がって後で~
・・と引き延ばしてたら、
じゃ、自分で電話する・・・と言い出して。
やっぱり、日本にいるより、外国語の中にいることに抵抗なくなってくるんでしょうね。
で、無事パスワードを自分でゲットできてちょっとは自信もついたみたいです。

ま、もう高校生ですからね。
これくらいのことはやってもらわんと。。


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Kontiki Cafe<クロアチア・レポート16>
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入り江の船着き場を利用したKontiki Cafe / Bar

ロケーション抜群。
海風が心地よい。
昼間は暑くても、夕方になるとガタッと気温が下がるのが、
なんといっても羨ましいところ。。
それに夏のクロアチアは、夕暮れ時が長くて、
なんだか得した気分になります。

Kontikiの名前は、きっと映画にもなった世界一周した筏の
コンチキ号から来てるんだろうな。

久しぶりに、マルゲリータ(テキーラ)なんて注文してみました♪



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夕食@オパティヤ<クロアチア・レポート15>
3月うさぎ
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オパティヤでは、古い漁村エリアの地元感溢れる気取らないシーフードレストランで夕食を食べました。

見た目は質素だけど、魚介のスープがしっかりしみ込んでもう文句無しに美味しい。
店員さんに、「フヴァーラ」(ありがとう)というクロアチア語を教えてもらいました。

ユーロ圏からクロアチアに入ると、クーナ(クロアチア通貨)はやっぱりお得感あり。
しかも、地元の人向けのレストランだと、え?ほんとにこれだけでいいの?というくらい安く思える。
美味しくて安いお礼にせめてチップでもと思ったら、逆に負けてくれちゃった・・と夫。

本当に、心から「フヴァーラ」なお店でした♪

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オパティヤ<クロアチア・レポート14>
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オパティヤ / Opatijaに到着。

ここは、クロアチアのリヴィエラとも称されるリゾート地。

オーストリア・ハンガリー帝国の時代から王侯貴族が訪れたりもしていたらしいが、
もともとの漁村集落(写真)も少しだけれど、残っている。

ホテルは丘の上の方にあり、そこからズルズルズル・・と下りて来ると、
いつのまにか海岸に出る。

日本のように遊泳区域が厳密に分けられていたりということはなさそうで、
みんなそれぞれが好きな場所にパラパラ散らばって海水浴を楽しんでいる様子。

お金持ちに海岸まで占領されていう様子はなさそうで、海岸沿いの細い小径をずっと海沿いを歩くことができる。

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イストラ半島<クロアチア・レポート13>
3月うさぎ
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いよいよ、イタリアにもバイバイ。

トリエステを東に走ると、2時間くらいのあいだにイタリア→スロヴェニア→クロアチア
と、国がめまぐるしく変わって行きます。
こんなにのどかな風景でも、歴史的にも、盗ったり盗られたり、国盗り物語が盛んに行われていたのんだと思います。

例によって、また斜面集落なんぞ見つけると、寄り道してみたりもしながら。。
町というほどの町でなくても、丘のてっぺんには大きめのお城があったりして。

イストラ半島 / Istraは、北の方のヨーロッパの人たちが夏休みにわんさと押し寄せる場所でもあります。(おかげでホテルがとりにくいったら、、)

その半島の付け根をショートカットするように、本日の目的地
オパティヤ / Opatijaまで向かいます。


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朝食@Duchi d' Aosta<イタリア・レポート70>
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宿泊は、別館の方でしたが、朝食は親玉の老舗ホテルDuchi d' Aostaにていただきます。
窓の外には、ウニタ・ディタリア広場。





アドリア海紀行11
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ジェラート<イタリア・レポート69>
3月うさぎ
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夏の旅行、特に暑い国の場合は、なんとなく毎日一回はアイスクリームを食べる!
というお決まりになっているような感じ。
特に、後の二人(夫と娘)は、けっこうその執着も強し。

トリエステの夜も、夕食の後エスプレッソも飲んで落ち着いてしまっている私に反して、
二人は、宿に帰る前になんとかアイスクリーム屋さんを見つけるぞ!とばかりウロウロ。。
(ま、この日はとりわけ暑かったしね。)
すっかり周りはバータイムで、アイスクリームはもう無理でしょ、、と私はほとんど決めつけていたのですが、二人の執念が叶ってアイスクリーム屋さんが登場しました。
しかも、ゴージャス!!

凪は一番手前のヨーグルトアイスのベースにベリーが乗ったカップ入りアイスを注文したのですが、
彼女に言わせると、これが「今まで生きてきた中で一番美味しいアイスクリーム!!」だったのだそうです。(キミは、岩崎恭子か。。)
それは、まあ、よかった。よかった。

イタリアはもちろんアイスクリーム(ジェラート)の国ですが、クロアチアもまたかなりのアイスクリーム好きの国とみた・・まだまだ一日一回のアイスクリーム、これからも続きそうです。



アドリア海紀行10
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Trieste in tazzina<イタリア・レポート68>
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確定的には言えませんが、
詩人、ウンベルト・サバが経営していたという書店はここかな。。

本屋の外には喫茶席も。
いいな〜
この町で学生してたら、きっとしょっちゅう通いたくなる。


トリエステの歴史あるカフェは観光スポットにもなっているようで、カフェ6ヶ所券
Trieste in tazzinaなんてものも発行されているようでした。(立ち飲み限定で3ユーロ。48時間有効)

イタリアは、基本的には、立ち飲みバール中心なので、
歴史と雰囲気のあるカフェが小さな町にいくつもあるなんて、
さすがにトリエステ♡
アドリア海紀行10
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記念写真<イタリア・レポート67>
3月うさぎ
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地元の子かな。
あるいは、修学旅行??

埠頭は、このオレンジユニフォームの軍団でいつのまにやらいっぱいに。。

気がつくと、夫がオレンジ軍団(のうち3人)に取り囲まれて一緒に写真なんかに納まっている。
ちょっと離れたところで凪と私が、「わ〜!!お父さんがモテてる〜〜!!!!!」ってウケてたら、今度は私たちのところにもやってきて、一緒に写真撮ろうよ!って☆☆☆
で、なぜか一緒に記念写真をば。

展開がよくわからなかったけど(外国人と仲良くなれ!ってお達しでもあったのかな。。)、オレンジ軍団(高校生くらい?)の屈託なくて可愛い面々でした。
「海」と「青春」もよく似合います。

最初「写真撮ってください」て頼まれたと思ったら、「写真、一緒に入ってください!」だったので驚いた!って言ってました。え?!ボク???って。

しかし、あらためて、この時の写真を見直すと、お父さん、鼻の下伸びてますよ〜って感じですよね。笑


アドリア海紀行10
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埠頭にて<イタリア・レポート66>
3月うさぎ
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カフェ・トンマセオでお腹をいっぱいにして
外へ出ると、もう海も近い。

夕暮れ時、埠頭まで歩いてみることにする。

海風が気持ち良く、振り返ると町の灯が暖かい。

イタリア映画ならLa vita è bella!
嗚呼、素晴らしき哉人生!って叫んじゃうところかな。。


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カフェ・トンマセオ<イタリア・レポート65>
3月うさぎ
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夕食は、トリエステ最古(1830年のオープン)の
カフェ・トンマセオ / Cafe Tommaseoにて。

町でも一番人気というこのカフェ。魚介を中心に、食事も充実している。
しかも値段も妥当な感じだったので、
イタリア最後の夜なので、イタリア料理を悔いなく食べ尽くそう!!ってことで、
この日の食事はちょっと贅沢気味!!

ヒャッホー♪
海鮮尽くしにテンション上がります。

笑顔が素敵な給仕さん。
誰かに似てると思ったらロビン・ウィリアムス!!
そこから話しが発展して、彼が出演している映画の話しに。。
久しぶりに、ロビンの映画が見たくなっちゃった。


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ボルサ広場<イタリア・レポート64>
3月うさぎ
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ボルサ広場界隈。
シャレたお店やカフェが並んでいる。
アール・ヌーヴォの建築も。
(イタリアのアール・ヌーヴォはリバティ様式って言うんだけどね。)

若い人の姿が多く活気あり。

こじんまり感といい、芸術的な空気といい、私好みな雰囲気。



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坂道の風景<イタリア・レポート63>
3月うさぎ
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歩きにくくても、滑り易くても、
やっぱり石畳の道って風情がある。

Pozzoは、井戸のこと。
Pozzo Romano・・・
ローマ時代の井戸なのかしらん??
さすがにそれは古すぎる?

詩人ウンベルト・サバも愛した道だそうです。
アドリア海紀行10
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カステッロ<イタリア・レポート62>
3月うさぎ
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丘の頂上までいくと、サン・ジュスト城ステッロ / Castellloに到着します。

古代に城壁があったとされる場所に、フェデリコ2世の命令によりあらためて城が建てられました。(1471〜1630)
その後、幸運なことに闘いの場となったことは一度もなく、見晴らしの良い町の監視場として機能していたようです。

石畳の道は歩き易いとは言いにくいけれど、上からの眺めは素晴らしい。


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アドリア海紀行10
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フレスコ画とモザイク@サン・ジュスト聖堂<イタリア・レポート61>
3月うさぎ
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訪れた時には気がついていなかったのだけれど、
この聖堂は隣り合う二つの教会を結合させて1つにした聖堂だったようです。

夫も、柱のスパンやアーチが左右で違ているのが珍しい・・とかつぶやいていましたし、同じように祭壇スペースが二つあるのも珍しいなと感じていましたが、
・・そう言われるとすべてが腑に落ちました。

原型は、5〜6世紀のローマ時代にまで遡ります。
ふたつのバジリカ跡に、サン・ジュスト教会とアッサンタ教会がが建ち、1300年代にこの二つが合わさて再建されたとのこと。
その時に、当時の流行のゴシック様式が加わり、高部にゴシックの象徴、バラ窓が飾られます。
14世紀に造られた鐘楼は、ローマ時代の神殿入口跡を使ったものなのだそうです。

内部は、柱の並ぶ5身廊。
「聖母と聖人」「聖母とミカエルとガブリエル」「キリストと聖ジュストと聖セルヴォロ」などの年代の違うフレスコ画やモザイクが壁面を飾っている。

床のモザイクは5世紀のものとか。

深い感動の1つの材料は、この時間の集積が重たくなりすぎず、ただここに「在り」続け、
鎮魂している空間ということが私たちにも感じられたからだったのかもしれません。

いずれにせよ、大変価値ある訪問になりました。(しかし、ガイドブックの説明の淡白なこと!!)


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アドリア海紀行10
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内部@サン・ジュスト聖堂<イタリア・レポート60>
3月うさぎ
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いい教会というものは、踏み入れた最初の一歩で判るものだ。

逆もある。

何か不快さのある教会も、足を踏み入れた瞬間に著感的に感じ取ってすぐさま出たいと思ってしまう。

建築的な評価と言う意味ではない。いわゆる「魂」にズドンと来るかどうか。

そういう意味で、このサン・ジュストという古い聖堂は、
言葉を失うくらい「ずっと包まれていたい」と感じた建築だった。

どうやら、私以外の家族も同じだったらしい。

あまり居心地のよくない、あるいは何も感じない教会だと、5分もいずに立ち去ってしまうこともままあるにもかかわらず(とにかく、ヨーロッパだけでも数百の教会を訪れていますので・・)、ここでは、少し歩いては座り、また少し歩いては座り・・と長い時間を過ごしました。

そうして滞在が長くなる過ぎると、「そろそろ行かへん?」とか「外で待ってるね」とか言ったりもする凪ですら、それなりに感じるところがあったのか、ずっと同じように歩いたり座ったりを繰り返していました。

後に、旅の終わりに、夫(建築家)も建築単体として一番感銘を受けてたのは、この聖堂だった・・と話していました。

不思議なものです。
これだけツボるということは、1つの旅行にそう何度もあることではありません。。
しかも、3人が3人。。

なぜこんなにこの古い古い聖堂に強い戦慄を感じたのか、今でも理屈では説明出来ません。

かつて、フィンランドで訪れた「トゥルクの葬祭場」と呼ばれる復活教会(フェンランド・レポート10)で似たような現象がありました。
脳の知的な刺激とは違う部分での興奮。
そしてその後に続く満たされていくような感動。。

とにかく、この聖堂を訪れることができただけでも、トリエステに来てよかった!
と心から感じていました。

(この写りの悪い写真たちが、その感動を伝えてくれないことだけが、残念、、、)


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アドリア海紀行10
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サン・ジュスト聖堂<イタリア・レポート59>
3月うさぎ
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急な坂道を上り切ったところに・・・

見えて来ました。

サン・ジュスト教会 / Basilica di San Giusto
アドリア海紀行9
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サン・ジュストへの道<イタリア・レポート58>
3月うさぎ
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市役所のアーチを抜けると、トポニーモ小広場Piazza Piccolo Toponimoに出ます。
この広場の右側が旧市街、左が新市街とゲットーになっています。

ローマ門の上には、めずらしくカトリック教会とプロテスタント教会が並んでいます。
その他、ギリシア教会、ドイツ教会、ユダヤ教会などさまざまな宗派の教会が集まって建っているところからも歴史の複雑なこの町のコスモポリタンっぷりが伺えます。

この大理石の石畳の道はかなり急で雨が降ってなくてもツルツル滑りそうになって大変歩きにくい。
風情はあるが、冬は尚更。季節風Boraは、風速80〜150km/hの強さだというから、たまったもんじゃないだろう、、

しかし、この坂道を上り切ると、トリエステのシンボル、サン・ジュスト教会、そしてパノラマな風景がのぞめるミラマーレ城にたどり着くことができます。

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ウニタ・ディタリア広場<イタリア・レポート57>
3月うさぎ
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ウニタ・ディタリア広場 / Piazza dell' Unita d' Italia

古代ローマの港の埋め立て地でトリエステの人々が集う代表的な広場。
「海に面したヨーロッパで最大の広場」なのだそうだ。
でも、あれ??
ヨーロッパで最大と言われると、ヴェネツィアのサン・マルコ広場は?とか思ってしまう。。
ま、あんまり深く考えてはいけないのかもしれない。

トリエステ港は、オーストリア支配の頃には、荷揚げ税のかからない港として、また内陸に位置する国唯一の港として発展した。

時計台の付いた建物は、市庁舎。

Unita d'Italiaとは、イタリア統一のこと。
イタリアは、1861〜1946年まで国王がいる王国だったのです。


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Duchi Vis a Vis<イタリア・レポート56>
3月うさぎ
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↑ Hotel Duchi d' Aosta


トリエステの宿は、町のメインの広場ウニタ・ディタリア / Unita d'Italiaに面する歴史あるHotel Duchi d'Aostaの別館Duchi Vis a Vis。

観光拠点としては抜群の立地。車をホテルのパーキングに預けて、街歩きスタートです。


↓ Duchi Vis a Vis


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トリエステ<イタリア・レポート55>
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ヴェネツィアを後にして、2時間程度車で東に走ると、
イタリア半島の付け根(東端)にあるトリエステ / Trieste
クロアチアやスロヴェニアの国境もすぐ眼と鼻の先という感じ。

ローマ、アクイレイア、ヴェネツィアの支配を経た後、
14世紀にはオーストリアの保護下に。
1719年にはハプスブルグ家が支配するオーストリア・ハンガリー帝国の軍港となり、
その後は自由港として発展。
さらに第一次世界大戦後はいったんイタリア領に、第二次世界大戦後には英米とユーゴスラビアの共同管理地区になり、1954年に再びイタリア領になっている。

これは、相当めまぐるしい。。

2度目にイタリアに組み込まれた時には、やっぱりみんな随分喜んだのかな。。




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中秋の名月
3月うさぎ
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中秋の名月。。

お団子はなしですが、ライトなお月見はしましたよ。
今度、中秋の名月が満月に当るのは、2021年だと言うので。

ほんとにきれいなまあるいお月さまでした。





*アドリア海紀行はまだまだ続きます。
四季折々
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ヴェネツィア共和国<イタリア・レポート54>
3月うさぎ
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「海の都の物語 ーヴェネツィア共和国の一千年」
塩野七生著
中央公論社

この読んだのはいつだったか。。

わずかな領土しか持たず、「海と結婚」することにより千年もの間繁栄を続けたヴェネツィア共和国。
7世紀から1787年にナポレオン率いるフランス軍に降伏する迄、海洋国家として勢力を増し、アドリア海沿岸をオセロの色を替えるように次々と手中にし続けてきた。
歴史上、最も長く続いた共和国なのだそうだ。

特に条件に恵まれたわけではない。
まだ葦しか生えていなかった何もない島に、木材を運び込み、杭を打って、とびきりの町に仕立てた。昔のヴェネツィア人は、本当に偉かったね。
よく「世界は神が造ったが、オランダはオランダ人が造った」と国土のほとんどを埋め立てて造ったオランダ人が自慢げに話すけれど、そういう意味では、ヴェネツィアも同じく、ヴェネツィアはヴェネツィアが造った!と思っているのだろう。。

それにしても、塩野七生さん、よくよその国の歴史物語を書く、なんて大それたこと手をつけようと思ったな〜 偉業ですよ。これは。



とてもとても廻りきれないヴェネツィアですが、2度目の滞在で、少しだけ立体的にこの町を捉えられた気もして、満足しています。
でも、この町の高密度、ハンパなし・・


さてさて、2日ぶりに車を引き上げて、今度は東に向いて走ります。。
チャオチャオ!


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アドリア海紀行9
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集合住宅<イタリア・レポート53>
3月うさぎ
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同じジューデッカ島でも、
ヴェネツィア本島と向かい合っている側は、比較的古典的なファサードが並んでいましたが、さすがに裏側は規制が緩いのか、こんな現代的な集合住宅も目にすることができました。

ヴェネツィアというと、見事なまでに中世の町の佇まいを今に残した都市ですので、
そこに新しいモノを加えるとなると、どうしても中世の建築群に引っ張られて、しかし当然それに並べるはずもない・・という中途半端な建築が増える可能性大だと思っていましたので、ジューデッカ島での自由な展開にはある意味ほっとさせられました。

しかも、窓割りとか、窓枠とか、リズミカルでとてもキュート。

もし、ヴェネツィアに住むようなことがあれば、(いえいえ、ただの妄想です。笑)
カジュアルなジューデッカ島の集合住宅に住み、仕事は本島の旧市街へ通うのがいいかも・・
と、勝手にイメージ膨らませてしまいました。



アドリア海紀行9
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呼び鈴<イタリア・レポート52>
3月うさぎ
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ジューデッカ島で見かけた掘り込み式の呼び鈴(どうやらマイク付き)とポストです。
壁とのコラボ感絶妙!
こういう造形感覚はさすがイタリア!という気がします。
アドリア海紀行9
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散歩@ジューデッカ島<イタリア・レポート51>
3月うさぎ
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ヴェネツィア本島と比べて、対照的に静かな静かなジューデッカ島。
食後の腹ごなしも兼ねて、少しお散歩してみます。
ここには、まったく観光客らしき姿はありません。

このおじさんは探し物でもしているのか、ずっとこんな風にうつむいて歩いてました。
レジャーシートを敷いて肌を焼いていた?のは、ビキニ姿のおばあさんでした。
イタリア人って見てるだけで、なんでこんなにおもしろいんだろ。。

遠方に見えるの細長い島はリド島 / Lido di Veneziaです。


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アドリア海紀行9
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朝食@カフェ<イタリア・レポート50>
3月うさぎ
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前日の宿はアパート形式だったので、朝食は近くのカフェにて。

いかにもイタリアらしい明るくていい人オーラ出まくりのおじさんがやさしく迎えてくれます。

こちらの人たちは、朝から甘いパンを食べるのが好きですが、
私たちは甘いパンはあまり得意ではないので、おかずパンの方を選びました。

こんな風に具沢山のパンを焼いて、クラブハウスサンドウィッチにしてくれます。
うんま〜〜♪♪

パニーニの方は3人で分けようってことになって、ナイフ借りに行ったら、
厨房のおばさんが「三等分でいいのね!」とサクサク切ってくれました。気が利く〜♪

な〜んか、地元っぽいカフェで朝ごはん食べられて、ほっこりしてしまった。

たまにはこういう一日の始まりもいいものです。。



アドリア海紀行9
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