3月うさぎ

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スターリ・モストからの眺め<ボスニア・へルツェゴビナ・レポート10>
3月うさぎ
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スターリ・モストからの眺め。。

写真さえ良ければ、かなり美しい。独特な風景。

でも、先にも書いたように、この川の左岸と右岸では、違う民族が分かれて住んでいます。
東側が、ボシュニャク人(ムスリム人)、西側がクロアチア人。(セルビア人は紛争以後ここを去ったらしい。)
政治的統治も一応別々とのこと。
ただ、紛争後は、民族間の不平等がないようにかなり神経質になっているとか。

それを繋ぐスターリ・モストの存在・・というわけです。


アドリア海紀行17
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スターリモスト<ボスニア・ヘルツェゴビナ・レポート9>
3月うさぎ
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スターリモスト / Stari most

モスタルのシンボル。
ネレトヴァ川の両岸を美しいアーチで繋いでいる。
ボスニア語でモスタルとは「橋の守り人」という意味らしい。


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スターリ・モストは、1566年、オスマン朝支配下の時代に建てられた。
橋脚がなく、両岸からアーチ状にかける技術は、その当時からすると相当なものと言える。

しかし、そんな町の象徴も、1993年11月の紛争時に破壊されてしまった。
ユネスコの協力で復元できたのは、2004年のこと。
(この敷石、ちょっと滑り過ぎ、、雨の日はかなりコワイかも。)

たしかに、この橋なしのモスタルはちょっと考えられない。

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アドリア海紀行17
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市街地<ボスニア・ヘルツゥゴビナ・レポート8>
3月うさぎ
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市街地のスナップ。

ドゥブロブニクからの半日ツアーなんかも出ているようなので、
そこそこ観光客の姿も見かけます。
耳を澄ませてみると、イタリア人とスペイン人の旅行者がほとんどという印象。
(私たちの宿も、我々以外(の宿泊者)はすべてイタリア人とか言っていた。ま、比較的近いものね。。)


この先に、みんなのお目当て!世界遺産のスターリ・モスト(橋)が。。

アドリア海紀行17
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ネレトヴァ川@モスタル<ボスニア・ヘルツェゴビナ・レポート7>
3月うさぎ
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モスタルの中央にネレトヴァ川 / Neretvaが流れています。

哀しい出来事もたくさん見て来た川ですが、今は、何もなかったようにあくまでも澄んだ蒼い色をしていました。

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アドリア海紀行17
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コスキ・メフィット・パシナ・ジャーミナ<ボスニア・ヘルツェゴビナ・レポート6>
3月うさぎ
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コスキ・メフィット・パシナ・ジャーミナ / Koski Mehmed Pasina dzamija

1618年に建てられたイスラム寺院。
(一気に名称もムスリムチックになりますよね。。)

旅行のガイドブックに(モスタルは)「西ヨーロッパの影響が強いアドリア海沿岸の町からやってきた旅行者は、
町の雰囲気の違いにきっと驚くことだろう。」と書かれていたので、
よ〜し!そのギャップを楽しんでやれ!と思ってここまで来てみたが、
実際に朝まで見ていた風景と、(たった3時間ばかり移動しただけなのに、)
こうまで風景も人も変わってしまうと、正直なんか脳が着いて来てない気がしてしまう。

それと同時に風景って不思議なものだな・・と思う。
こんな石作りのキリスト教教会はいくつも見て来たはずなのに、少しのエレメントの違いでここだけでも
グンとオリエンタルなテイストに感じられる。

でも、地図的区分からすると、ここもまだヨーロッパなのです!
アドリア海紀行16
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ミュージアム@Bosnian National Monument Muslibegovic House<ボスニア・ヘルツェゴビナ・レポート5>
3月うさぎ
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ムスリムの邸宅が今はそのまま美術館として公開されています。
基本的にプライバシーはなさそうなプラン。

細工の細かさ、絨毯を幾重にも重ねるところなど・・・部分的にモロッコの記憶が甦ります。
アドリア海紀行16
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Bosnian National Monument Muslibegovic House<ボスニア・ヘルツェゴビナ・レポート4>
3月うさぎ
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ドゥブロブニクからおよそ3時間程度の道。
そのあいだ結局、町らしい町にはおよそ出遭うことはなかった。

でも、幹線道路に出てからは、割合あっけなくモスタル / Mostarに到着することができた。

初めに着いたモスタルのダウンタウンは、とりとめがなくて観光客にとってあまりウェルカムな空気はない。
予約していた宿もうまく見つからない、、
でも、道を聞いた男性が「ああ、知ってる、知ってる」と快く車を誘導してくれたので助かった。やっぱり人の親切に遭うと、いきなり町との距離も縮まるものだ。



モスタルでの宿は、Bosnian National Monument Muslibegovic House
まったく〜長い名前ですよね。。
90年代の戦争で被害を受けた旧家をスペインのパラドール(国営宿舎)をヒントに宿泊施設にしたとのこと。
塀の中は外とは一変して花にあふれる美しい庭を持つムスリム(イスラム教)の邸宅であります。

典型的なムスリムハウスはその建築そのものがミュージアムにもなっていて、
ガイドのしっかりしたクレバーな感じのお姉さんが、丁寧に説明してくれた。
彼女は、一体何人なんだろう。。
白い肌のクロアチア人(いわゆる西欧人的)のようにも見えたが、スラブ人ということもあるのかもしれない。
でも、少なくともムスリム系には見えなかったが、尋ねてみる勇気は出ない。
やっぱり、この辺は、紛争の歴史がまだ風化していないところもあるので、民族や宗教の話しは
その複雑さをよく知らない人間が無邪気に質問してみるにはハードルが高すぎる。

そんなことでビビっていたら、昨日まではどこの町にいたの?と聞かれる。ドゥブロブニクと応えると、
感想を聞かれてしまう。ボスニアとクロアチアの関係が現在どんな感じなのか?と思わず余計な気を遣ってしまう。
彼女自身はニュートラルな印象だったけど、一緒にいた他の旅行客がサラエボから来たと言っていたので、
余計な気を回してしまった。
ま、ファーイーストの国から来た旅行客が気を遣っても仕方がないんだけど、ね。

このニュアンスをうまく説明出来ないけれど、この町に流れるネレトヴァ川の東は、ムスリム人、西はクロアチア人が
住み分けている・・というと、少しはこの町の特殊性が伝わるだろうか。

ここに来ると、もうヨーロッパじゃないみたいでしょ。。
そうなのだ。旧市街に出るともっとびっくり!な風景が待っていたのです。

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アドリア海紀行16
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モスタルへの道<ボスニア・ヘルツェゴビナ・レポート3>
3月うさぎ
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さてさて、いよいよ後ろ髪引かれるドゥブロブニクを後にして、
国境を越えて、再度ボスニア・ヘルツィゴビナへ。。。

ドズブロブニクを出た時点ですぐに山に入るのですが、
その後も人にも車にもほとんど出遭わないような荒涼とした道が延々と続きます。


できれば、前回通った幹線道路とは違う地道を走ってみたい・・などと思って、
いろいろトライしてみるのですが、
道はだんだん細くなってついにはなくなってしまったり、標識はラテン文字にキリル文字まで入って、まったく先が読めない。(しかも、もともとボスニアに関しては、おおまかな地図しか持っていない!という雑な現状!)

そのうち、人や車どころか、すれ違うのは牛ばかり・・という牛用の道?とまで思われるマイナーな道に紛れ込み・・・
楽しいけれど、いつになったら目的地に着くのやら・・といった始末。

しかし、この辺がうちの家族の変わったところなのでしょうけど、心細くなるどころか、車内はちょっとしたアドベンチャー気分でかえって盛り上がっている。

燃料がなくなると、相当ヤバいことになるでしょうけど、そっちの心配は大丈夫とドライバーが言っておりますので。。
(UPした写真、それぞれ時間は経過しているのですが、ほとんど同じ道のようにみえますね。笑)

そうそう、この日の目的地は、紛争の爪痕残るボスニア・ヘルツェゴビナでは珍しく
外国からの観光客を受け入れているモスタル / Mostal(旧市街は世界遺産?!)という街を目指しております。



いったいこの人たち、日暮れまでに無事到着できるんでしょうか。。笑

アドリア海紀行16
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ドゥブロブニクのお土産
3月うさぎ
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さっちゃんへ

いつもコメントありがとうございます。

ご質問のドゥブロブニクの街角でつくってもらった凪のハンドメイドネックレスは
こんな感じです♪(about クロアチア・レポ64)
これが一つ2分で!っていうのは、さすがプロですよね!!

日本円で、一つ500円程度だったかな。

昨日も使っていたみたいでしたよ〜


関係ありませんが、下のは、同じ街で私がmyお土産として購入したものです。
このみつばちを思わせる色合いとうずまき模様が気に入って。。

えへへ、ついでにご紹介!


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旅の支度・旅の余韻
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階段@Pucic Palace<クロアチア・レポート65>
3月うさぎ
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ホテルPecic Palaceの大理石の階段。

器の金継ぎのように、石は石で補修されている。

こういうのって、意外と嬉しい。
アドリア海紀行16
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ハンドメイド<クロアチア・レポート64>
3月うさぎ
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名前入りネックレス。
1つにつき2分でつくってくれるそうで(一時期日本でも流行ったけどね。)
凪は親友たちへのお土産はそれにしよう!と決めて、まさに作ってもらっているところ。

このブルーのシャツ着たお兄さん、立ったまま、なかなかいい手つきで仕上げてくれてます。




アドリア海紀行16
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城壁からの眺め<クロアチア・レポート63>
3月うさぎ
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旧市街を取り囲む城壁は、約2km。

城壁の途中には、要塞や見張り塔などが築かれており、高いところでは25mという壁の上からの眺めは絶景である。
1667年の旧市街の大部分を破戒したという大地震の時でもこの城壁はほとんど無傷だったというから、いかにも堅牢と言える。

ドゥブロブニクが城壁に囲まれたのは、なんと!街の誕生間もない8世紀のこと。
現在見られるような形になったのは、15〜16世紀の大工事によってだという。


夫は、長年憧れた場所に来る事が出来て満足そう。
人間ってすごい!と思えたのが嬉しかった・・というようなことを後でつぶやいていました。建築家は、これを一から造るとしたら・・いつもその観点でモノを観ているようで。
アドリア海紀行16
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青空市場<クロアチア・レポート62>
3月うさぎ

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ホテルの前は、広場(青空市場)。
バルコニー付きの部屋からの眺めは表情がくるくる替わってなかなか見てて飽きないです。


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到着日の夕方。
急な通り雨に襲われて、ディナーのために用意されていたホテルのレストランのテラス席のテーブルクロスを慌てて外す作業に追われてました、、
(テラス席が使えないと、売り上げにはかなり影響しそう。。)

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夜の青空市場。
雨も止んで、テラス席が賑わっています。
私たちもここでちょっとお茶しました。

背後に白く浮かび上がっている円形の建物は、位置から推測すると
聖母被昇天大聖堂 / katedrale Uznesenja Marijnaかな?(たぶん、だけど。。)

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深夜は、部屋のバルコニーに出て、広場を眺めながらワインで乾杯!
(このワインは前日のホテルのウエルカム・ワインをもらってきたもの。。優雅なような
セコいような。。)

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翌朝の青空市場。
次々にパラソルが並んで、食料品やハーブの工芸品などのお店が並びます。
レモンピールを購入したお店のおじさんに、どこから来たん?と聞かれて
日本!と応えると、そんな遠いところから来たんか、よう来た!よう来た!とえらく褒めてもらい、ついでにおまけもしてくれました~ヤッピー♪

その後、朝市は午前中には店じまいして、広場にスペースが戻っていきます。





アドリア海紀行16
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ルジャ広場<クロアチア・レポート61>
3月うさぎ
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ルジャ広場 / Luza trg

ドゥブロブニクの目抜き通りプラツァ通りの東の端にある華やぎのある広場。

最近流行の、建物に合わせてコンピュータでプログラミングされたCGの演出で、歴史ある建築物を最先端のアートに変換して観光客を喜ばせていました。

そして、その様子を月が笑う。。




アドリア海紀行16
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総督邸<クロアチア・レポート60>
3月うさぎ
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総督邸 / knezev dvorは、かつてここがラグーサ共和国だった時の総督の住居。

同時に、共和国の行政を司るすべての機関が集まったドゥブロブニクの心臓部でもあったらしい。

15世紀の初め、当時の有名建築家オノフリオ・デッラ・ツァッヴによって建てられたゴシック様式の建築だったが、火薬の爆発で被害を受け、その修復の時にはルネサンス様式の修復作業が成されたという。
しかも、その後1667年の大震災後の修復ではバロックの装飾が加わり、ゴシック、ルネサンス、バロックの複合建築に。。

こういう時間のスケールや、建築の歴史=修復の歴史という石の文化・・・面白いね。
その対極にあるのが、私たちの木の文化、たとえば伊勢神宮の遷都だったりするのかも。


総督邸・・・現在は、文化歴史博物館として使われているようです。

アドリア海紀行16
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ダルマチア料理<クロアチア・レポート59>
3月うさぎ
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さてさて、クロアチア、ドゥブロブニクの夏の夕方に時間を戻します。。


夕食は、細い路地のテーブルで食べました。

やっぱりダルマチア料理(ダルマチア地方の料理。海の幸が中心。)であります。

クリームパスタに乗っかってるのは、トリュフ!!(キャビア、フォアグラに並んで世界三大珍味の一つ!・・でしたよね??)

クロアチアではトリュフがよくとれるらしくて、安いパスタやスープにも惜しげもなくトリュフが使われていて驚かされます。

・・とはいえ、私にはそんなに感激するほど特別に美味しいものとも思えないのですけど。
ま、希少価値ということですかね。。

シーフードやパスタの料理はどれも外れなく美味しいですが、お肉に関してはどこに行っても和牛にはかなうものには出逢えませんね。


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アドリア海紀行15
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収納棚
3月うさぎ
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↑ 
after


念願の極プチ・リフォームが完成!

2階のロフトが娘のベッドに替わり、
そこにあった荷物が行き場を失っていたので、
3階に新たに収納棚を造ってみた・・ってことだけなんですけどね。。

しかし、天井の形状の都合上三角スペースですが、
奥行き900mmなので、けっこう頼り甲斐あり!です。

おかげで床面がすっきりして、
お部屋全体の自由度が増して、
やっぱり実行してよかったとニヤついています。^^



before
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日々あれこれ
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kamogawa walking 10.22
3月うさぎ
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旅行記ばかり書いているあいだに
季節は秋を迎えています。
(*アドリア海紀行はまだまだ続きます。)

賀茂川ウォーキングはなんとか続けています。

少し前の嵐山の渡月橋まで浸ってしまうほどの大雨の影響は、
桂川だけではなく賀茂川にも少なからずあり、
しばらくは、川の色も濁り、水圧でなぎ倒された植物たちはみんな褐色に変わり、
秋を越えて冬の様相を呈していたのですが、、

先週あたりから、また新しい草が生え始め、水の色も澄み、
鳥たちもだいぶ戻ってきていてなんだかほっとしました。

ただ、並木たちは、色づく前に枯れ葉を落とし初めているようで、
いつもの秋とはどこか違う印象を持ちました。


10月22日の京都は、時代祭鞍馬の火祭り。
大きなお祭りが2つ行われる日です。
また、次の台風が待ち受けているようなので、
なんとか雨に巻き込まれず済んで、関係者はほっとしておられることでしょうね。
四季折々
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貴婦人と一角獣
3月うさぎ
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ちょっと、ブレイク。


先週、大阪中之島の国立国際美術館に
「貴婦人と一角獣 / La Dame a la lieorne」(パリ、クリュニー美術館所蔵)を
観に行ってきました。

NHKの日曜美術館で500年前につくられたというこの6面のタピスリー(織物)を知って、
これはもう絶対にこの目で見たいと願っていたので、なんとか間に合って本当によかった!と思いました。

いやはや・・これはもうそんな期待感をも超えるタピスリーでした。

タピスリーは人間の五感<触角><味覚><嗅覚><聴覚><視覚>と第六感?<我が唯一の望み>の連作になっています。
謎の多いこのタピスリーの下絵が、研究者やファンたちの永遠の興味を惹き付けてきたことに加え、タピスリーの領域を踏み越えた豊かな絵画性に驚かされました。

元々の発注主とされているル・ヴィスト家で、このタピスリーたちがどんな風に掛けられていたのか、想像するのもまた楽しい。
その頃、この朱い糸は、今よりももう何段階も鮮やかな朱色だったのだろうな。。


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アートなきぶん
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城壁の散歩道<クロアチア・レポート58>
3月うさぎ
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ドゥブロブニクの旧市街を取り囲む城壁 / City wall
は、全長1940m、高さは最高で25mにも及ぶ。

夫の思惑では、この城壁からドゥブロブニクの夕景をたっぷり楽しむ!というのを今日のクライマックスにする計画だったらしいが、城壁の散歩道のクローズタイムは意外に早く、私たちがようやくエントランスにたどり着いた時には、門が閉められる時間になっていた。。うっ、、おしい!!

これは、たしかに残念。

城壁から望むドゥブロブニクの夕景は、たしかに圧巻だったろうに。。

し、しかし仕方がない。。

明日、もう一度出直します。




アドリア海紀行15
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オノフリオの大噴水<クロアチア・レポート57>
3月うさぎ
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1438年に造られたオノフリオの大噴水 / Velika Onofrijeva fontana
ピレ門のそばにあります。

美味しい湧き水を味わうことができるそうです。
アドリア海紀行15
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プラツァ通り<クロアチア・レポート56>
3月うさぎ
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旧市街の入口ピレ門 / Gradska vrata Pileから、中心部ルジャ広場 / Luza trgまで続く
200mあまりの目抜き通りのプラツァ/ Placa

この通りはかつての水路で、ここより南側が本来の旧市街であったらしい。


通りの両側には銀行やお店が建ち並び、何本もの狭い路地が直角に伸びている。

逆に、細い通りをウロウロしているといつのまにかこの通りに出てしまう・・ということが何度かあった。すべての道はローマに続くではなく、この街ではプラツァに続く・・ということのようです。







アドリア海紀行15
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石造りの街<クロアチア・レポート55>
3月うさぎ
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ドゥブロブニクの旧市街もすべて城壁の中にあります。
(一つ前に訪れたスプリットの街をスケールアップした感じ。)

さすがに旧市街は、建物も道も階段もすべてが石造りですね〜

海の近くの街と言うと、
なだらかに海に近づくにつれて坂を下がっていくのが普通だけど、
ドゥブロブニクは、海のラインに沿って城壁で囲まれているので、
城壁に近づく、あるいは海に近づくにはひたすら坂や階段を上って行くことになります、、

荷物があると結構大変です、、


↓ 黒い肩出しドレスを着ているのは凪(15歳)です。
日本でこれを着ると浮いちゃうけど、
ヨーロッパなら照れずに着られる機会もあるかも・・と一応持ってきたのだそうな。

ずっとタイミングを伺っていたのですが、
ドゥブロブニクでは、クラシックな5星ホテルに宿泊するのでここで着ておこう!というか、もはや、ここしかないゾ!ということになりまして。。

パッと見だけなら、大人っぽく見える??

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アドリア海紀行15
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ラグーサ共和国<クロアチア・レポート54>
3月うさぎ
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ドゥブロブニクの誕生は614年のこと。

当時西ローマ帝国が崩壊し、異民族に追われてエピダウルス(現在のツァヴタト)のダルマチア人達が大材移り住んで来たことに始まるという。

ドゥブロブニクはスラブ語で、ラテン語ではラグーサ。
ラグーサ共和国は、ハンガリーやヴェネツィアの支配下に入ったりしながらも、オスマン朝との交易で大躍進し、17世紀末まで繁栄の時間を過ごすことになります。
が、その最盛期の1667年、突如大地震がこの街を遅い大打撃を受けて一旦消滅。少しずつ力を取り戻すも、再びナポレオン率いるフランスに屈し、その後もオーストリア支配、ユーゴスラビアの領土になります。
1991年のユーゴの紛争の時には、セルビア・モンテネグロ勢力に7ヶ月包囲され、容赦ない砲撃によりドゥブロブニクの街は痛々しく傷つき「危機にさらされている世界遺産リスト」に載る程のダメージをうけますが、世界中の人々の熱意によりなんとか復興が進み、現在は、旧市街そのものが「世界遺産」に登録され、世界で名だたる美しい町として青されています。

以上、ざっと「ドゥブロブニクの歴史」でありました。


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アドリア海紀行15
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鍵@Pucic Palece<クロアチア・レポート53>
3月うさぎ
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「客室の鍵です」と部屋に案内してくれたフロントのおじさんが
素朴な木製のkeyを手渡してくれました。

いまどきこんなkeyなんて・・珍しい!と思ったら、
この見てくれはフェイク。
実際は、鍵穴付近にこのkeyを近づけただけで、ドアのロックがoffになるという
アンティークどころかむしろハイテクな技ありkeyだったのです!

やるな、おぬし☆
アドリア海紀行15
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客室@Pucic Palace<クロアチア・レポート52>
3月うさぎ
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Pucic Palaceの客室です。

さすがに、本格的クラシカルなお部屋に歴史を感じさせられます。

洗面室に置かれていたアメニティグッズはブルガリでした☆
アドリア海紀行15
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The Pucic Palace<クロアチア・レポート51>
3月うさぎ
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ドゥブロブニクの旧市街(城壁内)には、ホテルは二つしかない。
そのうちの一つが、プチチ・パレス / The Pucic Palaceであります。

この旅行で唯一の5星ホテル☆
日程の都合で、どうしてもドゥブロブニクには一泊しか宿泊できないので、
ロケーションと利便性をお金で買う?ことにしました。
(ま、物価安めのクロアチアなので、日本の中級旅館程度の価格で騒ぐ程ではないのですけど、ね。笑)


時間がない時は、街の一番便利な所にホテルをとれ!です。
移動の時間や、細かな交通費を考えると、すぐに元は取れます。
そして、満足感。これも至って大事。
更に言えば、記憶に長く留まる・・・これもホテルの価値の一つ。


アドリア海紀行15
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アドリア海の真珠<クロアチア・レポート50>
3月うさぎ
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ボスニア・ヘルツェゴビナのあてどない荒野を3〜4時間は走ったでしょうか・・

再びクロアチアの国境を越え、山道をも少し走ったら、
急に眼下に赤瓦の美しい街が目の中に飛び込んで来ました。

'アドリア海の真珠'と称されるドゥブロブニク / Dubrovnikです!!!!!

スプリットからそのまま海岸線の道を走ってドゥブロブニクに入っていたら、
こんなに衝撃的には感じられなかったでしょうから、
今となっては渋滞には逆に感謝であります。


ところで、ドゥブロブニクと言えば、日本では「魔女の宅急便」のキキが修行した街として有名!ということになっているようでしたが、しかしこれはガセネタのようですね。
本当のところは、スウェーデンのストックホルムとバルト海に浮かぶゴドランド島のヴィスピーという街がモデルになっているようです。
私も長く騙されていました、、hahaha

でも、私がキキなら、「わたし、ここにする!」って言ってたような気がする。



アドリア海紀行15
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ユーゴスラビア<ボスニア・ヘルツェゴビナ2>
3月うさぎ
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かつてこのバルカン半島にユーゴスラビア / Yugoslaviaという国があったことをお忘れの方も少なくないかもしれませんので、ちょこっと復習しておきますと・・・

現在でいう、スロヴェニア、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、セルビア、モンテネグロ、マケドニアの6つの共和国とヴォイヴォディナとコソボの自治区がまとめて
第一次世界大戦のどさくさに紛れて(?)、セルビア人中心の勢力に強引に他民族国家として一つになりました。
第二次世界大戦の時には、ドイツやイタリアの支配下に入りましたが、パルチザン勢力の指導者チトーによってユーゴスラビア連邦として団結し、ある程度安定した時間が経過しましたが、カリスマ・チトーの死後、中央統治がうまく機能しなくなり、次第に民族間のバランスが悪くなり、あちこちでいざこざが勃発し、ついにはユーゴスラビア紛争へと発展していきます。

もともと、ユーゴは、「七つの国境、六つの共和国、五つの民族、四つの言語、三つの宗教、二つの文字、一つの国家」という多難を背負っていたため、そもそもくっつけたことの方が強引だったとも言われていたらしい。

ユーゴスラビアは1991年に実質解体しますが、
地域差はあるにせよ、1990年頃勃発した紛争は、場所によっては2000年を越える頃まで続いていたというので、まだそれほど過去のこととも言えないわけです。
ユーゴ解体後、経済的地理的に恵まれていたスロヴェニア、クロアチアは、EUにも加盟し早々と西欧の仲間入りをし、一方取り残された形になっているその他の国々との格差は広がるばかりなようです。

ボスニア・ヘルツェゴビナの現実も厳しく、実際の国土と言えば、2000m級の山地(ディナル・アルプス)が南北に長く横たわって海を遮断し、低地でさえほとんど農作物も育たない不毛の大地が大半か?と推測されます。(メインの幹線道路の両脇がずっとこういう風景でしたから。)

あまり決めつけてはいけませんが、戦後の復興もあまり進んでいるようには見受けられず、貧しくともおだやかな幸福感が漂う・・という風には思えない何かがありました。

実際にショックだったのは、いくつかの集落が建物はあるのに妙に人の気配がなく、近づいてみると壁に多くの弾痕が残っているのを目の当たりにしたことです。






アドリア海紀行14
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国境<ボスニア・ヘルツェゴビナ・レポート1>
3月うさぎ
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いよいよ国境に差し掛かりました。

まず、パスポートを見せてクロアチアを出国。
少しだけ走ったら、今度はボスニア・ヘルツェゴビナ / Bosnia and Herzegovinaへの
入国審査を受けます。

出国は勿論簡単。普通の高速道路と変わりはありませんが、
ボスニア入国は、少なくともパスポートのコピーを撮りに行った様子でした。

さすがにボスニアなので、目的地や所持金など聞かれるかな・・とも覚悟していたのですが、それはありませんでした。

今回の旅だけでも国境越えは3回目ですが、EU加盟国同士はほとんどフリー。
ボスニアは違うので(しかもクロアチアとはあまり仲良くなさそうなイメージ、、)
拒否られる理由はないはずでも、なんとなくキンチョーしてしまうのでした。

赤白青の横ストライプは旧ユーゴの旗じゃなかったかしらん。。



少し走ったところで小さな食料品店とカフェが並んだところで夫が車を止めて、
念のためお昼ごはんを確保しておこう!ということに。
照明も暗めの店内に入ると、食材はあっても一から調理が必要なものが多く、
結局はジュースとポテトチップスとバナナを手に入れるだけで精一杯でした。
それでも、クーナ(クロアチアの通貨)を換算して受け取ってくれたのにはほっとしました。(そうなのだ。私たちは急にボスニアに入ったので、ボスニア通貨をまだ用意してなかったのだ!)
となりのカフェ(と言っても相当ストイックな感じの、、)にサンドイッチくらいはないものか・・と覗いてみたけれど、飲み物だけで食べる物は何もないと言われました。

国境という線引きを越えただけで、さっきまでいた明るく豊かなクロアチアがうんと遠くに感じられて、急にこりゃ遠いとこに来てしまったという気持ちになりました。。







アドリア海紀行14
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