先日、夏目漱石「こころ」の直筆原稿が新聞に載っていた。
あらためて、さほど達筆でないことに、親近感が湧く。
漱石の約60作が30以上の国で翻訳される・・という記事だったように思う。
今、なぜ、世界で漱石?
世界は、漱石文学に普遍的な何かを見つけることができるか?
「こころ」は学校の教科書に(たぶん一部)載っていた。
たぶん高2の時だったと思う。
思春期真っ盛り、感受性ビンビンだった当時の私はこの小説を、
ハンマーで後ろから頭を叩かれたくらいの衝撃度を以て受け止めた。
文庫本で全文を読み終えた後は、もうほぼひと夏「こころ」が頭から離れなくなって、
「こころ」を思い出す時は必ず、夏休みの永遠に続くかと思うようなジリジリとした日差しと友達の家の玄関先のシーンがセットになって甦る。
(そこで親友と長い時間、この小説の感想を語り合ったからだと思うのだけれど。)
どこかで、
大人になる・・ということは、こういうことも含まれているのだ・・・
と、不思議な覚悟が自分の中に生まれた気がした。
「こころ」今も高校の教科書に載っているのかしらん?
そして、折しも同じ歳を迎えているうちの高校生は、それを読んだ時どう感じるのだろう。
世界よりも世代の方がギャップが大きかったり
・・・ということもあるのかも。。