2015.11.30 Monday 23:33
今日は14回目の父の命日。
無類の本好きだった父は、本と対話するように平気で書き込むタイプの読者だった。
父の死とともに大量に遺された本の中から数冊手元に引き取った本のあちこちに父の直筆メモを発見することができる。
しかし、クセ字(達筆??)でなかなか読みにくい。
『懐しきわが彦根時代 役所の窓から庭の植木を眺めては
何故 立っている木があるだけなのに「木が立っている」という構造でものを考え、
表記するのか。即ち 主語と述語の分裂の形でしか物事を考えられないのは何故か
と悩み抜いた事を思い出す』
「日本語と論理 その有効な表現法 / 大出晁」
解るようで解らない。どういう意味か尋ねてみたいが、聞いてみたいと思った時には、本人がいない。
死んでしまうということは、もう会えないということなのだな・・・と改めて思う。
たまには、夢枕にでも立ってください。
父の命日によせて