この伝統的な木組みの屋敷は、
マルティン・ルターが学生時代に住んでいた家。
(1498−1501)
1685年3月21日に
ヨハン・セバスチャン・バッハは、ここアイゼナハで産声をあげたのだそうです。
(ああ、惜しい。あと一日で私と同じ誕生日!関係ないか、、、)
私も小さい頃ピアノを習っていて、
その時代はバッハと言えばかたくて練習曲の人としか思っていなかった。
でも、年齢を重ねるにつれ、あの神様から指示は入ったかと思えるような音楽が
なんか心地よく思えるようになってきた。
神々しい一方で、
変に難曲にしないところで身近に感じさせてくれるところ(自分にも弾ける気がすると思わせる)が私にとってのバッハの魅力。
ベルリンフィルで聴いたヴァイオリンとチャンバロのコンサートもバッハメドレーでした。
この10歳まで暮らしたのがこの家のようです。
アイゼナハにとって、ドイツにとって、バッハといえば宝!!
今は、隣に立派なバッハ記念館も建てられています。
ヴァルトブルク城をもう少し。
このお城は、建てられた時期や用途によって、同じ建築物とは思えないほど
様々な表情を持っている。
歴史ファンには、この辺りもたまらないところかもしれない。
当然、世界遺産にも登録されています。
ヴァルトブルグ城
Wartbrug
テューリンゲンの森を西北に越えた辺り。
この城が建てられたのは、1067年。
その後、主要部分をロマネスク様式で建てたものが加わり、
少し違うテイストが入り交じっている。
めずらしく音声ガイド(日本語)のイヤホーンがあると言うので、
各×1で借りてみた。
あまり歴史に関心を示さないタイプの凪が
(そもそもこの人は古いモノが怖い!というタイプ。ま、私も多少はある。鎧兜とか、暗い室内とか。)、
この長い説明をすご〜く面白かった〜!!と珍しい感想を言ったのが印象的だった。
特に、中世の絵画のモチーフを細かい解説が思いもよらなくて勉強になったのだそうな。
さすがに大学生ともなると、言う事が変わるものだな・・
16世紀のドイツのスターはやっぱりマルティン・ルターのようですね。
ここでも、この城に10ヶ月身を隠している間に、様々な逸話が誕生して、
当時の熱狂的な人気ぶりがひしと感じられました!
この日エアフルトで食べた昼食は、
ドイツの伝統的な料理なのではないかと思えました。
外観は、そこそこキレイにリフォームされていましたが、
中に入ると、このお店が、数世紀前から続いている
相当歴史のあるレストランのような気がしたからです。
特に地下の部屋には驚きました。
マルティン・ルターもここで密談していたのではないかと思えるほど、
いにしえの空気感が漂う穴蔵っぷり!!
私達が食したのは、外のパラソル席でしたが。。
クレーマー橋
Kramerbrucke
判りにくいですが、これは橋。
イタリアのポンテベッキオのように、
橋の上は、工芸品やお土産物を売る商店が両側に立ち並んでいます。
クレーマーとは、クレームを言う人ではなくて、
小売商人のことらしい。
橋の上のアイスクリーム屋さんが大人気。
日本では、アイスを食べながら歩くのは若者か子どもというイメージですが、
こっちでは、おばあさんもおじさんも、スーツできめたサラリーマンでも、
みんなペロペロしながら歩いてました。
世界史に登場した「ワイマール憲章」で知られる
ワイマールは小さな町。
ここに、現バウハウス大学があります。
そして、そもそも右翼に追われてデッサウに校舎を移す前、
バウハウスの拠点だったのは、ここワイマールだったらしい。
↓階段室に描かれたシュレンマーの壁画。
つい先日も、日本で展覧会があったばかりの
ルカス・クラーナハの祭壇画があるヘルダー教会。
昔は、カタカナ表記の時は、
ルーカス・クラナッハと言っていたけれど、
最近は、ルカス・クラーナハという表記で固定されたようですな。
なんとなく慣れなくて、クラナッハと呼びたくなるのですが、、
というのは、どうでもいい話。
それにしても、この祭壇画・・・
洗礼者ヨハネとクラーナハそしてルターも描かれているそうです。
パッと見には気づかないけど、
近寄ってみると、えらくエグかったり、グロかったりします。
真面目なのかふざけているのか判らなかったり、
解説をしっかり読まないと解釈が難しいところがあります。
それでも独特の魅力で観る人の気持ちを捉えてくるから不思議。